鉱山の建設と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 08:42 UTC 版)
操業開始してしばらくの間は躓きを見せた日立鉱山であったが、やがて急速な勢いで発展していくことになる。発展を支えたのはまず何よりも日立鉱山が足尾銅山、別子銅山、小坂鉱山といった日本を代表する銅山と肩を並べるほどの埋蔵量に恵まれた鉱山であったことが要因であるが、鉱山の経営を担った久原房之助らの努力や鉱山の発展をもたらした外的要因も見逃すことができない。 まず、日立鉱山の創業はちょうど日露戦争後の日本経済の発展期に当たった。この当時、鉱業や重工業は目覚しい発展を遂げており、鉱山の発展はこの時流に上手く乗った。また久原房之助は藩閥の代表格であった長州閥の山口県の出身であり、鉱山創業直後の久原の苦境を救ったのは長州出身である井上馨であった。しかも久原はかつて藤田組の一員として活躍していて、多額の分与金を受け取ることが出来た。つまり久原は近代的な鉱山建設に必要不可欠である大規模な設備投資を行うのに必要となる、多額の資金を調達可能な経済的に恵まれた境遇であった。 そしてそれらの恵まれた条件を存分に生かした、久原の積極的な鉱山に対する投資がなされたことが鉱山の急速な発展をもたらした。日立鉱山の発展に大きく寄与した投資を列挙すると、近代的な鉱山経営に必要不可欠である発電所の建設、探鉱に最新の技術を導入したこと、さく岩機を導入して採掘の機械化を図ったこと、進んだ精錬法を採用したこと、常磐線助川駅から鉱山までの日立鉱山専用電気鉄道や鉱石を運搬する索道を建設して輸送面の充実を図ったこと、そして日立鉱山で産出される鉱石ばかりではなく、他の鉱山で採掘された鉱石を購入して精錬を行う「買鉱」を積極的に進めたことなどが挙げられる。
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