鉱山としての大江山(大江山ニッケル鉱山と河守鉱山)
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詳細は「大江山鉱山」を参照 地質学的には地球の深部から隆起した地層で超塩基性(蛇紋岩)の岩盤を持つ。金属鉱脈が豊富で周辺には金屋など金属にまつわる地名が多く見られる。 古くから鉱床があることは認識されていたが、大江山北西山麓の与謝野町(旧加悦町)において日本火工(日本冶金工業の前身)の子会社が1934年(昭和9年)に探鉱を開始し、低品位ながら無尽蔵のニッケル鉱石があることを確認した。その後、1938年(昭和13年)から1940年(昭和15年)にかけて大江山の鉱石を製錬する実験を試みた結果ついに成功し、1940年(昭和15年)6月からフル操業を開始した。 当初の製錬は大江山から遠く離れた石川県七尾の元セメント工場で行われたが、太平洋戦争のための兵器製造に不可欠なニッケルを大量に確保するため大江山から近い、日本海に面した与謝郡吉津村(現在の宮津市)に新しい製錬所を建設し、そこへ専用鉄道(かつての加悦鉄道と日本冶金工業専用線)で輸送し、製錬した。 また大江山東側山麓の福知山市(旧大江町)佛性寺には河守鉱山(こうもりこうざん)跡があり、日本鉱業により1917年(大正6年)から1973年(昭和48年)まで銅、クロムおよび少量の銀の採掘が行われていた。主な鉱石はキューバ鉱、黄銅鉱、クロム鉄鉱、および磁硫鉄鉱などである。 大江山ニッケル鉱山跡
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