量産化達成と以降の改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 19:05 UTC 版)
「GAZ-M20 ポピェーダ」の記事における「量産化達成と以降の改良」の解説
改良されたM20ポピェーダは、紆余曲折はあれども量産体制を整えたGAZで1949年11月からようやく本格的な量産が始められた(Wikipedia英語版による。Wikipediaロシア語版によれば、1948年から1949年にかけてポピェーダ生産のための試行錯誤や改良進展があった模様だが、同時に、関係記録が錯綜して厳密な時期に関するさまざまな説が生じていることが示される)。1949年、M20とその開発陣は、M20の開発成功を評価されてスターリン国家賞を受賞した。 以後はGAZ-M1などの戦前モデルに代わるGAZの主力乗用車として供給された。用途の多くは政府当局と共産党関係の各種公用車で、また第二次大戦後に親ソ連の共産政権が樹立された東欧・アジアの同盟国にも輸出された。1950年代には北欧・西欧にも若干が輸出され、アメリカ合衆国に渡った個体もあったという。 生産が軌道に乗ってからも改良は徐々に進められ、1950年にコラムシフトと3速シンクロメッシュ・ギアボックスを導入して変速操作を大幅改善、1952年にはエンジンチューニングの改良で出力を52 hpに強化した。1955年のM20Bではさらに55 hpにパワーアップ、ラジエーターグリルなど内外装の変更も進められたほか、ラジオも搭載されるようになった。 通常型セダン以外の派生型としては、1953年まで生産されたカブリオレやコンバーチブルがあり、またタクシー用にも供給された。バンモデルも存在した。 ライセンス生産版としてはポーランド生産のFSO「ワルシャワ」が代表である(22年間にわたり、途中でノッチバックスタイルへの改良を経ながらGAZを超える25万台以上を生産した)が、他にも共産圏での小規模なノックダウン生産事例があり、その中には北朝鮮での事例も含まれている。 ソ連製ポピェーダの累計生産台数は、23万5,999台に達した(このうちタクシー仕様が37,492台、コンバーチブルが14,222台など、派生仕様が含まれる)。その品質や性能という点では同時代の西欧の自動車を凌駕するものではなかったにせよ、1950年代のソ連と東側諸国の需要に広く応え得る実用性を確保し、十分とは言い難いが相当量の供給を実現したことは、「勝利者」の愛称に恥じない実績となった。 ポピェーダの後継モデルは、1958年発表のGAZ M21ヴォルガである。
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