量産化と生産数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 23:56 UTC 版)
採用後は急ピッチで量産が進み、2月の時点で工場内に200機滞留した「首無し」機体を五式戦闘機に改造した。多賀 (2002) によれば、エンジン不調の三式戦闘機が五式戦闘機に改造されたともし、太平洋戦争研究会 (2001) も、ハ40の問題で納入されなかった一型からの改造機もあったとする。 その後は月産200機を目標に製造が続けられた。2月に1機、3月に36機、4月に89機と、量産は急速に進んだ。定説では3機の試作機を含め合計で393機が生産されたとされる。多くの三式戦闘機装備部隊が五式戦闘機に機種改変を行った。5、17、18、59、111、112、244の各戦隊が五式戦を受領している。ただし生産規模は所詮400機足らずであり、全てが置き換えられた訳ではない。 生産数は文献により分かれる。片渕によれば岐阜工場で1945年2月に1機、3月に36機、4月に89機、5月に131機、6月に88機、7月に23機、8月に10機、合計で381機が生産または改造され、それとは別に都城工場で17機以上が生産されたとしている。従って総計を398機+αとしている。渡辺 (2006)、ピカレッラ (2010)では試作3機を含め総生産数を390機としている。いずれにせよ、うち275機は「首無し」の三式戦闘機二型からの改造であると推測され、上述の通り一型からの改造機も有ったとする説もある。 なお6月以降の生産数が急激に減少しているのは、1945年6月から7月にかけて、川崎飛行機岐阜工場および周辺工場が空襲で被害を受けたためである。またハ112-IIの生産力にも限界があり、さらに1944年12月には三菱の発動機工場が空襲の被害に遭い、生産の停滞が目立ち始めた。
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