量産化後の転変
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/14 03:33 UTC 版)
「ラドムVIS wz1935」の記事における「量産化後の転変」の解説
ポーランドを取り巻く政治体制が悪化する中で生産体制が整えられ、VIS拳銃は、1937年からラドム造兵廠で量産が開始された。1939年までに50,000丁あまりが生産されている。 しかし、1939年9月の第二次世界大戦勃発で、ポーランドはナチス・ドイツとソ連の両面から攻められて分割占領され、ラドム造兵廠もドイツ軍の管理下に置かれた。 VISは、その優秀性からドイツ軍にも着目され、ドイツ軍制式の9x19mmパラベラム弾を用いていて互換性があるというメリットも買われて、兵器不足のドイツ軍向けに補助兵器として採用されることになった。こうしてVISは、表面仕上げの簡素化などの変更はあったものの、そのまま「P35」として、ドイツ軍の主力拳銃であるルガーP08・ワルサーP38を補完する形で量産されたのである。 結局、ポーランド軍向けよりもドイツ占領後の方が遙かに生産実績を伸ばし、デコッキングレバー省略などの工作簡素化やグリップの木製化などの変更を受けつつも、1945年までに300,000丁以上が生産されたとされる。この間、VISはラドム以外に、オーストリアのステアー社でも生産されている。 第二次大戦後、共産圏に入ったポーランドはソ連のトカレフ系拳銃採用にシフトしてしまい、それ以外の国も含め、VISは再び量産化されることなく終わった。
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