選出傾向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 20:57 UTC 版)
「最優秀選手 (日本プロ野球)」の記事における「選出傾向」の解説
「最高殊勲選手」として制定された当初から「所属チームの成績に関わりなく最も価値ある選手」か「所属チームの優勝に最も貢献した選手」かで議論があった。初期にはB.ハリスや苅田久徳が前者の立場で選ばれていたが、次第に後者の傾向が強まった。阪神の球団史『阪神タイガース 昭和のあゆみ』(1991年)では、1946年に優勝したグレートリングの山本一人(打点王)が選考委員の満場一致で選ばれたことが、「優勝チームに限定した選出」の発端という見解が示されている。同書には「MVPを邦訳した「最高殊勲」にこだわるとどうしても「優勝」に結びついてくる」と記されている。1949年に6位チームから選出された藤村富美男については、この年に導入された5名連記制が有利に作用したと『阪神タイガース 昭和のあゆみ』には記されている。なお、この藤村の選出に関しては井上章一が『阪神タイガースの正体』(太田出版、2001年)の中で、大井廣介の著書『タイガース史』(ベースボール・マガジン社、1958年)にある「毎日新聞系の票が集中的に藤村に投じられた」という記述を紹介し、当時プロ野球再編問題で毎日球団側につくかどうかに疑念のあった阪神を引きとめる一環としてそのようなことがおこなわれた可能性を指摘している(同書P146 - 147)。この年は1位は7点。2位は4点で以下5位まで1点ずつ少なくなる方式であった。藤村と次点の千葉茂とは、1位は同数で2位以下の票数で差がついた。発表時の読売新聞の記事(1949年12月1日)では同僚の藤本英雄や川上哲治との間で2・3位の票が分散したことが千葉の敗因としている。この翌年より投票は単記制となり、「優勝チームからの選出」が不文律となっていく。その後、「原則として優勝チームから選ぶ」という条項が設定され、優勝チームからの選出が続くこととなった。なお、パ・リーグは最優秀投手の制定後、1953年から1955年までは「最高殊勲選手の対象には投手を含まない」としていた。 1963年に「最優秀選手」に改められた際に上記の条項は削除されたが、その後においてもリーグ最高勝率チームから選ばれることが多い。2位以下のチームに所属する選手は稀有な成績や記録を残した場合に選ばれることがある。レギュラーシーズン優勝チーム以外からMVPが選出された例は、2リーグ制後、セで3度、パで10度。また、レギュラーシーズン最高勝率ではないチームからMVPが選出された例は、2リーグ制後、セで3度、パで8度。BクラスのチームからのMVPは、2リーグ制後、1982年の落合博満(ロッテ、史上最年少での三冠)、1988年の門田博光(南海、40歳で本塁打・打点の二冠)、2008年の岩隈久志(楽天、投手三冠)、2013年のウラディミール・バレンティン(ヤクルト、史上最多の年間60本塁打)の4度。 パ・リーグで前後期制が採用されていた1973年から1982年に、前期・後期どちらかで最高勝率を記録しながらプレーオフに敗退し優勝を逃した球団からMVPが選出された例はない。また、同じくパ・リーグでは2004年から2006年にかけてプレーオフが実施されていたが、この期間中レギュラーシーズン2位以下のチームがプレーオフを勝ち抜いて日本シリーズ出場を果たしたケースで当該チームからMVPが選出された事例はない。2004年の松中信彦(ダイエー)・2005年の杉内俊哉(ソフトバンク)と2年連続でシーズン最高勝率を達成しながら当時のプレーオフ制度により優勝を逃したチームから選出された。 2007年に両リーグでクライマックスシリーズが始まって以降は、プレーオフで日本シリーズ出場を逃したとしてもレギュラーシーズンの優勝チームからMVPが選出されやすい傾向にある。
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