道頓堀川への飛び込み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 08:43 UTC 版)
上述のように、21年ぶりのリーグ優勝が決まった1985年(昭和60年)10月16日に多数の熱狂的な阪神ファンが優勝を祝って夜中にもかかわらず戎橋の橋梁から飛び込んでいる。この事件以降も阪神が優勝争いや優勝するたびに同じように戎橋から飛び込む行為が発生している。なお余談であるが道頓堀ダイブを最初に決行したのは巨人ファンで当時高校生であった桂福若である。 1992年(平成4年)、阪神はヤクルト、巨人と優勝争いを演じ10月10日のヤクルトとの直接対決に敗れ、結果的に2位タイでシーズンを終了した。敗戦後、道頓堀では飛び込む若者が続出した。 阪神が首位を独走していた2003年(平成15年)7月には、当時大阪府の太田房江知事が「マジックを順調に減らしている阪神と今回の清掃が無関係とは言わないが、大阪への注目度を上げるためきれいにしたい」と話し「飛び込み奨励ではない」と釘を刺した上で、ボートの上から網で水面のゴミをすくうなど大阪市と合同の河川愛護キャンペーンの一環として道頓堀川を清掃、その発言や清掃の様子が、翌日の一般紙やスポーツ紙に掲載された。同時期、当時阪神の星野監督も水質汚染などを理由にファンに道頓堀川への飛び込みは止めるよう呼びかけていた。この当時、道頓堀川は川の側面に歩道を設ける工事を実施しており、また川自体も大腸菌やヘドロなど環境上の汚染が深刻であるため、橋梁からの飛び込み行為は絶対止めるようにという注意書きの看板が掲げられていた。その他、リーグ優勝決定時には警察官を出動させるなど行政や民間でも対策を行った。それでも、阪神がリーグ優勝を決めた9月15日から16日にかけて延べ5,300人を超えるファンが道頓堀川に飛び込んだ。17日には泥酔した人物が欄干上から落下し、溺死体で発見されるという事件が起きた。因みに、フランスの首都パリのセーヌ川のアルマ橋から川に飛び込んだり、イギリスの首都ロンドンのトラファルガー広場でも、噴水に飛び込んだ現地在住のファンもいた。 2005年(平成17年)の2年ぶりの阪神のリーグ優勝時には、大阪市と大阪府警察本部が戎橋に高さ3 mの透明強化プラスチック製のフェンスを設け、2年ぶりのリーグ優勝が確定しそうな日には「とんぼりリバーウォーク」への出入りを禁止にするなどの対策を採った結果、飛び込みを少数にとどめることができた。 ウィキニュースに関連記事があります。「飛びこまないで」大阪・道頓堀川「ダイブ」に警鐘 2014年(平成26年)10月18日に阪神がシーズン2位からクライマックスシリーズを制して日本シリーズ出場権を得た際には、延べ59人が飛び込んだ。10月30日に日本シリーズ敗退後、「阪神夢をありがとう」との垂れ幕をぶら下げ4人が飛び込んだが、いずれも阪神ファンではなかった。
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