近現代における武士道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 23:44 UTC 版)
武士道は日本の発展にも重要な精神となった。武士道の精神を基本とした士魂商才という言葉も生まれ、拝金主義に陥りがちであった精神を戒め、さらに商才を発揮することで理想像である経営者となることを表すものであった。このような経営哲学・倫理は欧米でも戦後に発達し、帝王学に類似した学問も登場した。今日では企業の倫理が問われるようになっており、経営者や戦略における要素となっている。武士道などの精神は経営学系統の大学、高校において標語として採用している場合もある。現在では国際化の進展に合わせて日本の武士道などの日本経営精神に対する必要性を挙げるものもいる。『武士道』の著者である新渡戸稲造も祖父が商人としての成功があったが、商業倫理に関する言葉を残している。他にも渋沢栄一は今後の時代に必要な武士道を説くなどと明治時代から大正デモクラシーにかけての日本の実業に関する精神が唱えられ、日本的経営に必要な背骨となった。 2009年6月10日、韓国のソウルで開かれた『トランスフォーマー/リベンジ』の試写会において、マイケル・ベイ監督が「トランスフォーマーのなかに、他人のために自己を犠牲にする英雄主義である日本の武士道を込めた」と発言したことが物議を醸し、韓国人から倭色という批判を受けた。 『「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは』(小学館、2003年3月)の著書がある中華民国総統であった李登輝は、2001年に心臓病の治療のために訪日しようとした際、中国を怒らせることを恐れた外相や外務省の反対により、なかなかビザが下りなかった。これについて、「義を見てせざるは勇なきなり」という武士道の精神を表す言葉があり、武士道は日本人にとって最高の道徳のはずであるが、このとき日本という国はほんとうにおかしくなっていると感じたと吐露している。その一方で、東日本大震災で日本国民がみせた節度ある行動や献身的な自己犠牲は、まさに武士道の精神そのものであり、武士道という言葉自体はいまの日本ではあまり使われなくなっていたとしても、その精神はけっして失われておらず、それを世界の人々が称賛したと述べている。
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