近代日本の神話学とは? わかりやすく解説

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近代日本の神話学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 23:24 UTC 版)

日本の神話学」の記事における「近代日本の神話学」の解説

日本においての神話学発展は、古代史としての神代史の発展伴ってきたといわれる久米邦武明治25年1892年)、雑誌『史海』に転載し論文神道祭天古俗」(発表1891年)が神道家国学者らによって問題となり、東京帝国大学教授辞任するという久米邦武筆禍事件起きた。この事件以降神代史(日本の神話時代研究)は一時的に停滞する明治32年1899年)は、日本の神話学にとって画期であった高山樗牛が、「古事記神代巻神話及び歴史」を『中央公論3月号に発表し神代史の自由研究提唱する樗牛は、「神代巻神話歴史両者混淆なり」として、古事記等における神話部分歴史部分との判定論じたまた、スサノオヴェーダ神話インド神話)のインドラ神に類似し、また日本神話ポリネシア神話類似しているとも説いたアマテラス太陽神であるとすればスサノオは嵐の神であり、神話としては太陽と嵐との戦いとも解釈しうるなどと論じている。なお高木敏雄は樗牛の説を大体においては間違っていないと評価している。この年には、ほかに、樗牛の説を批判した国学院高橋龍雄の論考スサノオ驟雨神として論じた比較宗教学姉崎嘲風姉崎正治)の論考出された。 姉崎嘲風論考においては日本神話は、説明神話説話史的伝説三つ区分行い、さらに説明神話天然神話自然神話)と人事神話分けられた。 翌明治33年1900年)の『帝国文学』では高木敏雄(1876年 - 1922年)が無記名神話研究発表しはじめ、同雑誌では上田敏新村出らの神話関連論考発表された。高木明治37年(1904年)には『比較神話学』を刊行した。この研究にはマックス・ミュラーや、アンドリュー・ラング、エーレンライヒらの影響みられる高木その後比較神話学による日本神話研究続け昭和18年1943年)に『日本神話伝説研究』(平凡社東洋文庫、全2巻)にまとめられ研究すすめた。また高木柳田國男折口信夫らとも交流があり、柳田折口らによる民俗学においても日本神話研究展開した。しかし、のちに高木柳田決裂している。大林太良高木業績についてフランスアンリ・マスペロマルセル・グラネらが1920年代発表した中国神話研究や、ヴォルフラム・エーバーハルトの30年代研究比較しても、先駆というべきであり、東アジア神話学先駆者であった評価している。 1924年には鳥居龍蔵が『日本周囲民族原始宗教』(岡書院)を刊行し中央アジア神話伝承検討されはじめた日本の神話学においてはほかに松村武雄松本信広三品彰英津田左右吉らの研究がある。 戦後代表的な研究者には、大林太良吉田敦彦松村一男。らがいる。

※この「近代日本の神話学」の解説は、「日本の神話学」の解説の一部です。
「近代日本の神話学」を含む「日本の神話学」の記事については、「日本の神話学」の概要を参照ください。

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