軍部との提携と大日本言論報国会とは? わかりやすく解説

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軍部との提携と大日本言論報国会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:09 UTC 版)

徳富蘇峰」の記事における「軍部との提携と大日本言論報国会」の解説

1931年昭和6年)、『新成簀堂叢書』の刊行開始した同年起こった満州事変以降蘇峰その日ナショナリズムないし皇室中心主義的思想をもって軍部結んで活躍、「白閥打破」、「興亜大義」、「挙国一致」を喧伝した。 1935年昭和10年)に『蘇峰自伝』、1939年昭和14年)に『昭和国民読本』、1940年昭和15年)には『満州建国読本』をそれぞれ刊行しこの間1937年昭和12年6月帝国芸術院会員となった1940年昭和15年9月日独伊三国軍事同盟締結建白近衛文麿首相に提出し太平洋戦争始まった1941年昭和16年12月には東條英機首相に頼まれ大東亜戦争開戦の詔書添削している。 1942年昭和17年5月には日本文学報国会設立してみずから会長就任同年12月には内閣情報局指導のもと大日本言論報国会設立されて、やはり会長選ばれた。前者は、数多く文学者網羅的、かつ半ば強制的に会員とされたものであったのに対し後者内閣情報局職員立会いのもと、特に戦争協力的な言論人が会員として選ばれた。ここでは、皇国史観有名な東京帝国大学教授平泉澄や、京都帝国大学哲学科出身京都学派高山岩男高坂正顕西谷啓治鈴木成高らの発言権大きかった1943年昭和18年4月蘇峰は、三宅雪嶺とともに東條内閣のもとで文化勲章受章したこの年蘇峰80歳となり、三叉神経痛眼病患うようになったが、『近世日本国民史』の執筆病気をおして継続している。1944年昭和19年2月には『必勝国民読本』を刊行した1945年昭和20年7月ポツダム宣言が発せられたが、蘇峰受諾反対昭和天皇非常大権発動画策したが、実現しなかった。

※この「軍部との提携と大日本言論報国会」の解説は、「徳富蘇峰」の解説の一部です。
「軍部との提携と大日本言論報国会」を含む「徳富蘇峰」の記事については、「徳富蘇峰」の概要を参照ください。

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