軍部によるアーバー島の強襲事件(1970年)
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「アンサール (スーダン)」の記事における「軍部によるアーバー島の強襲事件(1970年)」の解説
1969年11月、ガーファル・アン=ヌメイリー(Gaafar Nimeiry)が首相になった。当時の政府はほとんどが文民により構成されていたが、アンサールが主導する軍部保守派は、政府に反対する立場を取った。イマーム・アル=ハーディー・アル=マフディーはアーバー島の根拠地に引き下がった。1970年3月ニメイリーは島を訪問しイマームと対話しようとしたが、敵対的な群衆に妨害された。政府に反対するアンサールの数は30,000人にまで膨れ上がり、政府軍とのあいだで衝突が起きた。航空兵力のサポートを受けた軍隊が島を強襲し、約3,000人の死者を出した。 サーディク・アル=マフディーは1970年に逮捕され、何年もの間、スーダン内の監獄への一時収容と国外追放とが繰り返された。1985年にサーディク・アル=マフディーは再びウンマ党の党首に選出され、1986年の選挙でスーダンの首相に選ばれた。しかし、在職中の1989年にクーデタが発生し、政府が転覆した。サーディクはさらに投獄と追放を経験したのち、2000年にスーダンに帰還した。2002年にはアンサールのイマームに選ばれ、2003年にウンマ党の党首に再選出された。
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