投獄と追放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 09:31 UTC 版)
「ベニグノ・アキノ・ジュニア」の記事における「投獄と追放」の解説
1972年、フェルディナンド・マルコス大統領がフィリピン全土に戒厳令を敷き、反政府側の危険人物とされたニノイは「政府転覆の陰謀と武器の不法所持、殺人」の容疑で逮捕・投獄された。ニノイは1977年に死刑を宣告されたが、国民に人気のあるニノイを処刑することはできず、マルコスは1980年に「アメリカ合衆国で手術を受けさせる」という名目で、ニノイをフィリピン共和国から追放した。 収監中、ニノイはカトリックやマハトマ・ガンディー、マーティン・ルーサー・キングの著書から大きな影響を受けた。以後、ニノイは非暴力主義を掲げながらマルコス政権を批判するようになる。 ニノイは、マルコス政権を厳しく批判しながらも、国民に対しては決して暴力に訴えないよう常に求めていた。ニノイが強い思想性を帯びるようになったことは、後に妻のコリー・アキノが、政治家としての姿勢に強い影響を与えることになり、ニノイが死後「殉教者」として称えられることになる基盤を作った。
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