軍部との確執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 15:25 UTC 版)
「マラム・バカイ・サニャ」の記事における「軍部との確執」の解説
サニャ政権は腐敗が進む国軍の改革を進めたことで反発を招いた。2010年4月に反体制派の軍人らがカルロス・ゴメス・ジュニオル首相を自宅軟禁した事件が発生した(ギニアビサウ軍#2010年ギニアビサウ軍事的不安)。また軍部内で横行する南米・欧州間の麻薬密輸の取締りを強化したことで、死去する数週間前の2011年12月27日には「麻薬王」ことホセ・アメリコ・ブボ・ナ・チュト海軍少将らがクーデターを計画したとして逮捕された(サニャはパリで療養中であった)。 サニャは大統領に在職中のまま死去したため、憲法に従い90日以内に大統領選挙が実施されることになった。だが人気の大統領候補がサニャと同じく軍部改革を掲げていたことで、4月13日の軍事クーデターを招いた(2012年ギニアビサウクーデター(英語版))。
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