カルロス・ゴメス・ジュニオル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 15:53 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はドミンゴス、第二姓(父方の姓)はゴメスです。 |
カルロス・ドミンゴス・ゴメス・ジュニオル(Carlos Domingos Gomes Júnior、1949年 - )はギニアビサウ共和国の政治家。同国首相を2期務めた。
ゴメスはギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)党首である。同党はギニアビサウ独立の1974年から1999年のクーデターまでの間の政権与党であった。2004年の議会選挙で多数の議席を獲得し、連立政権を主導した。銀行家であり、実業家でもあり、ギニアビサウ一の富豪といわれている。1994年に議会選挙に初当選。「カドゴ」の愛称で知られている。
2005年10月28日、ジョアン・ヴィエイラ大統領はカルロス・ゴメスの政府解体を宣言し、2005年11月2日に、長年の同志であったアリスティデス・ゴメスを首相に任命した。
2009年1月2日、再度首相に任命された。2012年に大統領選挙に出馬するため首相を退任、副首相のアジャト・ジャロ・ナンディーニャが暫定首相となった[1]。3月の大統領選挙第1回投票では得票率48.97%となり、次点で元大統領のクンバ・ヤラ(23.36%)に大差をつけ[2]、4月29日の決選投票では勝利が確実と目されていたが、4月12日にクーデターが発生しライムンド・ペレイラ大統領代行とともに陸軍に身柄を拘束され、一時的に所在が不明となった[3]。大統領選挙は中止され、二人は4月26日にコートジボワールにて解放された[4]。
出典
- ^ “Guinea Bissau names female interim PM” (英語). Radio Netherlands Worldwide. (2012年2月10日) 2012年2月18日閲覧。
- ^ “大統領選、決選投票へ=ギニアビサウ”. 共同通信. (2012年3月22日) 2012年4月13日閲覧。
- ^ “軍部隊がクーデターか ギニアビサウ”. 産経新聞. (2012年4月13日) 2012年4月13日閲覧。
- ^ “Guinea-Bissau: Deposed Leaders Are Freed and Sent to Ivory Coast”. ニューヨーク・タイムズ. (2012年4月27日) 2018年4月18日閲覧。
公職 | ||
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先代: カルロス・コレイア |
![]() 第18代:2009 - 2012 |
次代: アジャト・ジャロ・ナンディーニャ (暫定) |
先代: アルトゥル・サニャ |
![]() 第14代:2004 - 2005 |
次代: アリスティデス・ゴメス |
固有名詞の分類
ギニアビサウの政治家 |
アリスティデス・ゴメス ジョアン・ヴィエイラ カルロス・ゴメス・ジュニオル マラム・バカイ・サニャ カルメン・ペレイラ |
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