路面電車の地下化、シュタットバーン誕生
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「シュトゥットガルト・シュタットバーン」の記事における「路面電車の地下化、シュタットバーン誕生」の解説
大戦の中で甚大な被害を受けたシュトゥットガルト市内と同様に路面電車も多くの路線が運休状態に陥り、終戦直後の1940年代後半は路線網の復旧に尽力する事となった。また急増した利用客に対応するため、破壊された車両の修理や戦後の配給車両の導入を実施した他、1947年からは市内の瓦礫を輸送するため電気機関車が牽引する貨物列車が設定され、路面電車やシュトゥットガルトの復旧がほぼ完了した1949年まで続けられた。 その後、1950年代は1920 - 30年代以来となる路線網の大規模な拡張が実施され、他の交通機関を含め1955年の年間利用客数は1億9,300万人に達した。車両についても長年増備が続いた2軸車に代わり、1959年からは急曲線の走行に適した2車体連接車のGT4形の大量導入が始まり、以降長期に渡ってシュトゥットガルトを代表する車両として活躍する事となった。 一方、1950年代以降の西ドイツ各地では、激化する道路の混雑の回避や輸送力の増強を目的に、路面電車路線を地下区間へ移設する動きが各地で起こり始め、シュトゥットガルトでも市からの要請の元、1950年代に路面電車の地下化に関するレポートが提出された。これを基に1964年から工事が始まり、1966年に第一期路線としてシャルロッテン広場(Schlissstraße)を経由する3号線が地下化され、以降1980年までシュトゥットガルト市内中心部の路線の地下化が実施された。 開通時、これらの地下区間は地上線のGT4形がそのまま乗り入れるメーターゲージの路線網として運用されていたが、将来的に高規格の鉄道路線へ転換する事を前提に建設が行われていた。当初は本格的な地下鉄へと置き換えられる予定であったが、予算の問題から1976年にシュトゥットガルト市議会は方針を転換し、標準軌(軌間1,435 mm)への改軌、高床式プラットホームの導入、大型の新型車両の開発などにより路面電車網全体の高規格化(シュタットバーン化)を行う事を決定した。そして、前述したシャルロッテン広場経由の路線の高規格化工事やシュトゥットガルトに適した車両であるDT8形の開発を経て、1985年9月28日から本格的なシュタットバーンの運用が開始された。また、同年にはシュトゥットガルト路面電車会社の年間利用者数の減少傾向が下げ止まり、前年から6 %増の1億3,5000万人となった。 終戦直後の路面電車(1946年撮影) GT4形は長期に渡って使用された(1986年撮影) シュトゥットガルト向けに開発されたDT8形(2006年撮影)
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