証明の発表と最終的な証明とは? わかりやすく解説

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証明の発表と最終的な証明 (1993–1995)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 23:54 UTC 版)

ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明」の記事における「証明の発表と最終的な証明 (19931995)」の解説

1993年6月21日-23日の間で、ワイルズは半安定楕円曲線に関する谷山・志村予想の証明、すなわちフェルマーの最終定理の証明発表した。この発表イギリスケンブリッジアイザック・ニュートン数学研究所英語版)で3つの講義渡って行われた講義の後には比較大きな規模記者会見が行われた。 証明発表の後、ニック・カッツワイルズ論文査読を行うレフェリー一人として指名された。カッツレビューにおいて、ワイルズ証明に関する様々な質問をしたが、そのうちワイルズ自身認めギャップ証明含まれることがわかった証明重要な箇所ある種群の位数上限与え部分)の誤りであり、コリヴァキアン=フラッハ法を拡張するのに使用したオイラー系(英語版)が不完全だったというものだった。 ただし、この誤りによってワイルズ仕事が全く役に立たないものになったわけではなかった。ワイルズの証明それぞれの部分単体でも意義深く革新的なものであり、証明過程多く発展新たなテクニック見出されていたためである。この誤り影響されたのは一箇所のみであった:289, 296297しかしながら、この一箇所が(誤りによって)証明されないであればフェルマーの最終定理の証明成されないワイルズギャップ取り除くのにほとんど1年費やした当初自身訂正試みたが、のちにかつての指導学生リチャード・テイラー共同訂正試みた。しかし、ギャップ取り除くことはできなかった。1993年の終わりまでに、厳し視線注がれるなかでワイルズの証明失敗したという噂が広がったが、どの程度深刻なのかに関して知られていなかった。数学者ワイルズ彼の仕事が完全なのかそうでないのかに関わらず彼の証明公開させるようにプレッシャーをかけ始めたそうすることでより広い数学者コミュニティワイルズ仕事精査し利用することができるからである。しかし、誤り訂正されるどころか当初それほど深刻でないように思われギャップは実は非常に重要で、取り除くのは容易でないように思われた。 ワイルズによれば1994年9月19日の朝、彼はほとんど誤りの訂正諦め寸前で、証明失敗したことを認め瀬戸際におり、他の数学者証明発展させ、誤り探すことができるように証明詳細発表しようとしていた。彼は証明がなぜ不完全だったのかを理解するための最後確認をしていたが、不意に、コリヴァキアン=フラッハ法の適用の際に問題となっている部分そのものが(コリヴァキアン=フラッハ法のアプローチから得た経験援用することで)岩澤理論適用可能にすることに気がついた。それぞれのアプローチ単体では不適切だが、両者アプローチ組み合わせ双方アプローチツール使用することでギャップ取り除き、(ワイルズ最初に出した論文では証明与えられていなかった)すべての場合有効な類数公式(Class Number Formula, CNF)を与えた。。 "私はデスク座ってコリヴァキアン=フラッハ法の確認をしていました。これは私が誤り訂正できる考えていたからではなく少なくともなぜこのアプローチ失敗したのか、その理由説明できるようにしておきたい考えたからです。すると、突然すばらしひらめきが頭に浮かびました。コリヴァキアン=フラッハ法のアプローチは駄目でしたが、そうなっている理由がまさに3年前岩澤理論アプローチ適用するのに必要なものだったのです。コリヴァキアン=フラッハ法のアプローチの灰から問題対す真の解答得られたようでした。それは信じられないほど美しくシンプルエレガントでした。なぜそんなことを私が見逃していたのかわかりませんが、その箇所半信半疑20分見つめました。それからその日は一日中、部の周り歩き回り、そしてデスク戻ってその箇所がまだそこにあることを確認するということ繰り返しました。それはそこにありました。私は気持ち抑えることができませんでした。とても興奮していました。私の職務のうちで、最も重要な瞬間でした。今後あれほどのことが起こることはなでしょう。"— アンドリュー・ワイルズサイモン・シンによる引用1994年10月6日に、ワイルズは3人の同僚ゲルト・ファルティングスを含む)に彼の新し証明査読するように頼んだ1994年10月24日ワイルズ2つ論文投稿した。「モジュラー形式楕円曲線およびガロワ表現Modular Forms, Elliptic Curves and Galois Representations.)」と「ある種ヘッケ環環論性質(Ring theoretic properties of certain Hecke algebras)」である。このうち後者論文ワイルズテイラー共著したものであり、主論文訂正必要だった箇所直し必要な条件満たされていることを証明したのである。 この2つ論文精査され、最終的に1995年5月Annals of Mathematics発表された。この新し証明広く検査され主な部分に関して正しいものである受け入れられた。これらの論文は半安定楕円曲線に関するモジュラリティ定理確立するものであり、遂にフェルマーの最終定理証明するものであった。これは予想提出されてから358年後のことであった

※この「証明の発表と最終的な証明 (1993–1995)」の解説は、「ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明」の解説の一部です。
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