言語の歴史
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9世紀にはこの地域のラテン語の文章の中にカタルーニャ語の特徴を持った単語や表現が現れ、11世紀末にはカタルーニャ語で書かれた文章が登場した。13世紀にはアラゴン=カタルーニャ連合王国がバレンシア地方やバレアレス諸島を征服して今日のカタルーニャ語圏に近い地域が統一され、「カタルーニャ語の父」ラモン・リュイなどがカタルーニャ語の成熟に貢献した。15世紀は「カタルーニャ語文学の黄金世紀」だったが、16世紀から18世紀にはカタルーニャ語文学が衰退し、18世紀初頭のスペイン継承戦争後には中央集権的政策が進められてカタルーニャ語の公的な使用が禁じられた。19世紀半ばからはラナシェンサと呼ばれる文芸復興運動が起こり、スペイン第二次共和政下の1932年にはカタルーニャ地方での公用語に位置づけられた。 1930年代後半のスペイン内戦後に国家の中央集権化を推し進めたフランコ体制下(1939-1975)では、公的使用が禁じられて弾圧を受けた。内戦以前のカタルーニャでは年間700冊以上の書籍・年間200冊以上の雑誌が出版されていたが、カタルーニャ語出版物は全面的に禁じられた。自治体・道路・広場などの名称はスペイン語名に変更され、カタルーニャ語名を戸籍簿に登録することが禁じられた。カタルーニャ主義に関与した教育関係者は一様に罷免され、カスティーリャ地方やエストレマドゥーラ地方からスペイン語教師が送り込まれている。カタルーニャ文化の規制は1946年に緩和され、1962年には実質的に自由化されたが、公教育やマスメディアでカタルーニャ語の使用が始まるのはフランコ死去後のことである。 1. カタルーニャの独自の言語はカタルーニャ語である。2. カタルーニャ語はカタルーニャの公用語である。また、スペイン国家全体の公用語であるスペイン語も公用語である。 — 1979年カタルーニャ自治憲章第3条 民主化後に制定されたスペイン1978年憲法では各自治州が独自の公用語を用いることを認めており、カタルーニャ州はスペイン語に加えてカタルーニャ語も公用語とした。1983年には言語正常化法を制定し、1998年には言語正常化法を発展させた言語政策法を制定した。公立の初等・中等教育ではほぼすべてでカタルーニャ語が採用されており、カタルーニャ語は教育言語として定着している。1998年にはエル・ペリオディコ・デ・カタルーニャ紙がスペイン語版に加えてカタルーニャ語版の発行も始め、2011年にはカタルーニャ地方最大の新聞であるラ・バングアルディア紙も追随した。カタルーニャ公営鉄道、バルセロナ地下鉄、バスなどの公共交通ではカタルーニャ語が基本であり、レンフェ(スペイン国鉄)は両言語でアナウンスしている。カタルーニャ州の言語政策は国家公用語であるスペイン語を軽視していると批判されることもある。なお、1993年に独立国家となったアンドラ公国はカタルーニャ語を公用語としている。
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言語の歴史
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「言語学上の未解決問題」の記事における「言語の歴史」の解説
何世紀にもわたって関心を集めているにもかかわらず、言語の起源と言語能力の起源は大未解決問題である。 人類祖語、大語族 未分類の言語 - 大部分は信頼できるデータ不足のために、系統樹に加えられていない言語 未解読文字
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