衰退から終焉へとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 衰退から終焉への意味・解説 

衰退から終焉へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 08:17 UTC 版)

熊野別当」の記事における「衰退から終焉へ」の解説

承元2年1208年)、24別当に湛政が就任すると、京都鎌倉対立により、熊野内外不安定化ていった。まず、湛政のもとに置かれ別当相次いで失脚交代したまた、西国への足がかりとして熊野隣接する伊勢利用しようとする動き鎌倉幕府見せたことへの反発から事件相次いで起こった承久元年1219年2月志摩国への熊野山衆徒侵入事件起きたが、これは新宮家人々による鎌倉幕府圧力をかける試みであった考えられている。さらに紀伊国における親幕府派の中心にいた湯浅宗光が、熊野山衆徒強訴により配流される事件起きた紀伊国を親上皇・反幕府でかためようとするこれらの動き顕著になるにつれ、幕府との間の関係に緊張漂いだした。 承久3年1221年)に承久の乱起こり後鳥羽院倒幕兵を挙げると、田辺家の快実(湛顕の嫡男)と新宮家の尋快(行快嫡男)が上皇方参加したしかしながら熊野三山統治体制と深い関わりをもつ院の挙兵際し熊野統一した態度行動を示すことが出来なかった。湛政は静観努めたが、田辺新宮両家から上皇幕府陣営への参加者出ており、別当一族互いに戦うことこそ避けられたが、湛政ら中立派含めて三派に分裂してしまった。 加えて戦い幕府一方的な勝利終り多く荘園所領所職失われた。特に田辺家は快実をはじめ次代を担う人材数多く失ったばかりか近接する南部庄や芳養上庄幕府地頭送り込んできたことで、財政基盤損なわれるとどまらず幕府監視下におかれるようになった新宮家損害はそれに比べれば小さく佐野地頭職などの一定の既得権益確保することに成功したばかりか幕府御家人によって間近監視されることも回避することができた。この他にも、宇治川での敗北後捕縛刑死配流処せられた者、逃亡余儀なくされた者もおり、新宮田辺問わず別当家の勢力弱まった。 さらに、鎌倉幕府は、和泉国紀伊国両国停止していた守護職を再設置し逃亡者探索に当たらせた。また、鶴岡八幡宮別当であった定豪新熊野検校任じ三山直接掌握図ったこうした中、承久の乱のあいだ静観つとめた湛政が安貞3年1222年)に死去すると、承久の乱に関わらなかった琳快(りんかい)が25代の別当就任し、湛顕の弟湛真が別当就任したしかしながら、琳快は、上皇方加担した元羽黒山別当尊長かくまった疑いかけられ下野国足利配流された。政治力のある後ろ盾得られなくなった熊野別当には、こうした鎌倉幕府介入斥けることはもはや出来なかったのである26別当の快命、ついで27別当の湛真以後新宮家田辺家あらため交互に別当職を努めることになったその後承久の乱処罰追及弛緩したのか、上皇方戦った後、姿を隠していた尋快が28代の別当就任する一幕見られた。31別当には田辺家嫡流の正湛が就くが、正湛が弘安7年1284年9月還俗し宮崎姓を称したことにより熊野別当職を担う家系としての熊野別当家断絶したと『熊野年代記』は伝えている。しかし、田辺小松家嫡流の正湛が新宮行遍家の通姓である宮崎名乗るのは不自然に過ぎるし、信憑性欠ける。しかも、これ以後熊野別当の名は確実な史料中に確認されているので、熊野別当家断絶せず、続いていたと見なすべきであろう。 ところで、熊野別当家勢力衰え始めた13世紀末期になると、那智山那智執行滝本執行宿老在庁との合議制によって一山運営をおこなうようになり、熊野三山の中で半ば独立した存在になっていった。

※この「衰退から終焉へ」の解説は、「熊野別当」の解説の一部です。
「衰退から終焉へ」を含む「熊野別当」の記事については、「熊野別当」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「衰退から終焉へ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「衰退から終焉へ」の関連用語

衰退から終焉へのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



衰退から終焉へのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの熊野別当 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS