衰退から休刊へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 07:52 UTC 版)
1950年、目黒書店から新年号を発行。8~12月号に、木村の改造社時代の上司小川五郎(筆名高杉一郎)のシベリア抑留記「極光(オーロラ)のかげに」を連載し、大きな反響を呼ぶ。 しかし、1950年の末から部数が再び落ち始めた。木村はその原因を、朝鮮戦争勃発を受けての好況によって日本の社会風潮が現実主義的になり、『人間』の理想主義的編集方針が合わなくなったためではないかと分析した。 さらに、大掛かりな受験参考書シリーズの失敗により目黒書店の経営状態が悪化、1950年4月には自転車操業が始まっていた。『人間』の部数は3万に低下し、社員の月給の支払いが遅延し始め、執筆者への原稿料の支払いも渋滞がちになった。三島の恩人ともいうべき木村編集長が光クラブ事件の小説化を三島に依頼して謝絶され、歴史的名作『青の時代』を新潮社に攫われる結果となったのも1950年のことだった。 やがて目黒書店が不渡り手形を出したため、1951年8月号を最終号として『人間』は廃刊になった。
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