蘇禄の時代とは? わかりやすく解説

蘇禄の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 02:30 UTC 版)

突騎施」の記事における「蘇禄の時代」の解説

突騎施別種出身である車鼻施啜の蘇禄は、突騎施の余衆を寄せ集め新たな突騎施酋長となった。彼は善く下の者をいたわり従えたので、十姓部落西突厥)は次第彼に帰順していった。部衆は20擁し遂に西域の地に勢力確立するいたった715年蘇禄初めて唐に入朝し、右武衛大将軍突騎施都督授かったが、朝廷蘇禄献上物受け取らなかった。716年8月東突厥可汗默啜死去したため、蘇禄は自ら立って可汗となった718年5月朝廷武衛中郎将の王恵に節を持たせ突騎施都督蘇禄を左羽林大将軍・順国公に拝し金方経略大使とした。しかし、蘇禄悪賢く唐に心から臣従したわけではなかった。719年10月玄宗はこれを唐に繋ぎとめておこうとし、蘇禄忠順可汗冊立した。722年12月玄宗は十姓可汗阿史那懐道の娘を金河公主とし、突騎施可汗蘇禄に娶らせた。726年12月金河公主が牙官を安西遣わし、馬千頭引き連れて交易させた。使者金河公主指令杜暹述べ伝えたところ、杜暹怒って阿史那の娘がその身分かえりみず指令述べ伝えるとは何事か!」と言い、その使者鞭打ち抑留して還さなかった。その馬は降雪遭い寒さのために死に絶えてしまった。蘇禄大い怒り、兵を発して四鎮に攻め込んで略奪おこなった時に杜暹帰国して国政司っていたため、趙頤貞が代わって安西都護となっていた。趙頤貞は長期わたって城壁のぼって防戦し、撃って出て敗れた蘇禄その人畜を捕え、穀物倉の蓄え奪い出したしばらくして杜暹宰相になっていることを聞き知り蘇禄は軍を引いて去ったその後、すぐに首領支阿布思(ヤブチ・アポース)を遣わして来朝させた。727年蘇禄吐蕃の賛普と結んで挙兵し、四鎮に入寇して安西城を包囲した。しかし、安西大都護の趙頤貞によって撃破される。730年蘇禄使者京師至り玄宗丹鳳臨御して宴を催した。たまたま東突厥使者来ていたので、両者は席の上下を争うこととなった東突厥使者は「突騎施の国は小さく、もともとは突厥臣従していた。その使者上座占めるべきではない」と言い蘇禄使者は「この宴は我のために設けられたものだ。我が下座であるわけにゆかないと言ったここにおいて中書門下及び百僚議し遂に東西幕下それぞれの席を設け東突厥使者は東、突騎施使者は西に座った。宴が終わると、唐は多くのものを賜って帰国させた。735年10月突騎施北庭及び安西の撥換城を寇した。736年1月吐蕃は遣使を送り方物を献上した北庭都護蓋嘉運は兵を率いて突騎施撃ち、これを破る。8月突騎施大臣胡禄達干(フールク・タルカン)を遣わし、唐に請和した738年初めの頃、蘇禄はその民衆いつくしみ治め性格勤勉質素で、戦闘たびごと捕獲物を支配下の者に分け与えた。そのために諸族は彼に心服し力を尽くしたまた、吐蕃突厥密通していたため、二国君主はその娘を蘇禄に娶せた。蘇禄遂に三国の娘を立てて可敦カトゥン、Qatun:皇后)とし、数人の子供を護(ヤブグYabγu)とした。こうして日ごと彼の出費多くなっていったにもかかわらず普段から蓄えをしていなかったため、晩年になると貧困憂えてたのしまず、故に捕獲物を自分のもとにおいて分配しなくなり部下叛くようになった。その上風にかかり、一支が曲がって役に立たなくなったそんな中突騎施には大首領賀達干(バガ・タルカン、Baγa Tarqan:官名)・都摩度(トモートー)の両部落があり、最も強盛となっていた。さらにその種人中でも娑葛後裔の者は「黄姓」と称し蘇禄の部は「黒姓」と称し互いに敵視し合うようになった。夏、賀達干は軍隊率いて夜に蘇禄攻撃してこれを殺した。都摩度は初め賀達干と通謀していたが、まもなく背きあうようになり、蘇禄の子の骨啜(クチュル)を立てて吐火仙可汗(トハシャン・カガン)とし、蘇禄の余衆を寄せ集めて賀達干と攻撃し合った

※この「蘇禄の時代」の解説は、「突騎施」の解説の一部です。
「蘇禄の時代」を含む「突騎施」の記事については、「突騎施」の概要を参照ください。

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