芙蓉懇談会・芙蓉会結成
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「芙蓉グループ」の記事における「芙蓉懇談会・芙蓉会結成」の解説
富士は1960年4月、日本鋼管(現:JFEホールディングス)の千葉進出計画を契機に富士、丸紅飯田、日本鋼管、昭和電工、東燃石油化学(現:東燃化学)、日本油槽船(現:日本郵船)による「企画部長会」を結成。徐々に参加メンバーを拡げ、1963年11月にグループ機関誌「F」を創刊した。そして、1964年12月に富士の融資系列企業22社の営業担当役員が一同に会して、第一回販売促進グループ懇談会を開催。 のちにこの会合を「芙蓉懇談会」と改称した。 同じ頃三菱グループが「BUY三菱」(三菱を買いましょう)運動を始め、1965年に「あなたの三菱、世界の三菱」をグループの共通宣伝標語として三菱グループ企業の従業員とその家族を対象として「三菱ファミリー・ショー」を開催した。すると、これに追随し住友グループ、三井グループも企業集団ぐるみの広報・マーケティングを展開し始めた。 こうした動きを見て、三大財閥の系譜を引かない企業間でグループ化して対抗していかなければならないとの機運が高まり、1966年1月に富士は融資系列に有力財界人を加えて社長会「芙蓉会」を結成。また副社長会「芙二会」、総務部長会「芙総会」、企画部長会「芙水会」と各役職ごとの会も生まれた。 芙蓉グループの特徴として、歴史的な因縁で結ばれた財閥系グループと異なり、合理性のある、反面ドライな繋がりであることが挙げられる。芙蓉懇談会の発足に際しても、富士頭取の岩佐凱実は「歴史的資本的に強く結びついた閉鎖的なものでなく、相互連携のメリットを求め合う友人のような企業の集まりに」と述べている。後に頭取を務めた松澤卓二は「他のグループの企業と連携することは一向に差し支えない」と発言している。 芙蓉グループの発足に沿って、グループの総合化を図ろうとかつての財閥系列以外の企業も積極的にグループに取り込んだほか、共同投資会社の設立も活発となった。この方針に則り、1969年に芙蓉海洋開発、また翌年5月に芙蓉情報センター(現:みずほ情報総研)が発足した際には系列以外も含めて出資先は53社を数えた。このほか1972年に芙蓉総合開発(現:ヒューリック)、1973年に芙蓉石油開発の共同投資会社も設立した。下記加盟企業にあるように、「融資系列」として親密になったメンバーも多い。しかし、2度のオイルショックによる景気後退で、企業の資金需要が後退し、都市銀行の威光に翳りが見え始めると、1978年頃には富士と非財閥系である三和銀行との合併計画も現出、次第に芙蓉グループは求心力を弱めていく。
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