肉体改造〜大関昇進へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 04:10 UTC 版)
小結へ昇進した1989年(平成元年)1月場所では、好調な上位陣に全く歯が立たず1勝14敗という無残な成績に終わる。これではいけないと感じた霧島は鍛え方を徹底的に見直し、1日に20個の卵や、バナナ2本などが入った夫人特製のプロテインを摂取するとともに、ウエイトトレーニングによる肉体改造に取り組んだ。ベンチプレス210kg、スクワット350kgという強靭な肉体を作り上げ、体重も110kg台から一気に130kg前後まで増加した。その効果もあって翌3月場所では前頭9枚目ながら10勝5敗の好成績。さらに5月場所では西前頭筆頭で11日目に全勝の横綱大乃国から2つ目の金星を獲得し8勝7敗で初の殊勲賞を獲得。7月場所は小結で7勝8敗と負け越して平幕に下がるも9月場所で東前頭筆頭で8勝7敗と勝ち越して三度小結へ復帰。11月場所では10勝5敗の成績を挙げ3度目の技能賞獲得。この頃三役で好成績を収めていた琴ヶ梅、水戸泉とともに次期大関候補に名乗りを上げた。 翌年1990年(平成2年)1月場所は小結に留まるも横綱北勝海、大関北天佑を豪快に吊り出すなど11勝4敗の成績を挙げ2度目の殊勲賞を受賞。19場所ぶりに関脇へ復帰し、初の大関獲りとして迎えた翌3月場所では、6日目に横綱千代の富士を吊り出して勝ち、千代の富士の通算1000勝達成を阻んだ。霧島はこの日まで千代の富士に一度も勝利したことがなく、余程の手違いがない限り千代の富士の白星で間違いないと、宿舎にはお祝いの鯛が用意され、大きな花束が次々に運び込まれ、役員室では二子山がお祝いのコメントをするために待機するほどであったが、吊りに対する弱さという千代の富士の唯一と言って良い弱点を突いたことでまさかの勝利を実現した。その後も連勝し続け成績は13勝2敗となり、優勝同点の好成績を挙げる。同場所本割の結びの一番の後、横綱北勝海、大関小錦と三力士での優勝決定巴戦に出場。霧島はくじで「○」を引いたため1戦目は取組無し(小錦が北勝海に勝利)、2戦目で小錦には勝ったものの、3戦目で北勝海に敗れて(4戦目で小錦を下し北勝海の優勝決定)惜しくも幕内優勝はならなかったが、3月場所後に大関へ昇進が決定した。なお初土俵から91場所での新大関は、現在も大相撲史上1位のスロー出世最長記録であり、また30歳11か月での新大関も当時二代目増位山に次ぐ、史上2位(現在は琴光喜の31歳3か月、増位山の31歳2か月に次いで3位)の年長記録だった。三賞は3場所連続であり、この場所は殊勲賞と技能賞を獲得。
※この「肉体改造〜大関昇進へ」の解説は、「霧島一博」の解説の一部です。
「肉体改造〜大関昇進へ」を含む「霧島一博」の記事については、「霧島一博」の概要を参照ください。
- 肉体改造〜大関昇進へのページへのリンク