老朽化問題への試行錯誤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:25 UTC 版)
「京都大学吉田寮」の記事における「老朽化問題への試行錯誤」の解説
「在寮期限」を経て、吉田寮自治会は現棟の老朽化問題を解決するため試行錯誤を重ねた。まず模索したのは現棟の新寮への「建て替え」だった。1996年5月16日、吉田寮自治会は益川敏英学生部長と「新寮の運営についても寮生の自治とする」等の確約を結んだ。1999年6月には「新寮を現在の場所に建てる」「水光熱費の負担区分の値上げをしない」等の進展した確約を副学長と交わした。しかしながら吉田寮自治会の要求する自治寮と文部省の学寮方針のすれ違いもあり、建て替えの計画は中々具体化しなかった。 2002年頃、寮生は新寮建設は難しいと判断し、現棟を耐震強度の面で骨組みから補修するという「大規模補修」を検討し始めた。吉田寮自治会は大規模補修の必要性と実現可能性を確認するため補修特別委員会を設置し、寮内での議論と合意形成の後、大学側にこれを要求した。大学側も地震学者の尾池和夫副学長を中心に大規模補修を目指し、2005年には耐震調査と大規模補修の設計に関する予算がつき、大規模補修の設計までは実際に行われた。しかしこの案は2006年夏から秋にかけての概算請求の学内選考で廃案になった。 同年10月6日、大学側は吉田寮自治会に対して「京都大学重点アクションプランという予算枠で吉田寮を建て替えられる、10月23日までに返答すればすぐにも実行できる」と打診した。大規模補修とは真反対の提案が突然なされたこと、猶予期間が短いことに寮生は混乱し、連日連夜の議論を重ねても結論を出すことはできなかった。23日、吉田寮自治会は「もし建て替えを行うのであれば、このような条件であれば合意可能である」という新寮の条件確約案15項目を持って東山紘久副学長らとの交渉に臨んだが、寄宿料、定員、敷地面積等の項目で意見が合わないまま日付が変わり、大学当局は交渉を打ち切った。翌24日、東山副学長は理事懇談会で予算申請の話を取り下げた。その後、大学側は「今後も建て替えに関する交渉には応じる」と発言した。 2009年4月20日、西村周三副学長は吉田寮自治会に対して「吉田南最南部地区再整備・基本方針(案)」を提示した。この方針案は「寮食堂を取り壊し、寮食堂の跡地と寮食堂西側の空き地(焼け跡)に『吉田寮A棟』を建設。全寮生をA棟に引っ越しさせた後、現棟を取り壊して『吉田寮B棟』に建て替える」という計画だった。吉田寮自治会は現棟を建て替えるかどうかは別の話とし、まずはA棟について話し合うことを大学当局と確認した。食堂利用者は活動の場が失われることを懸念し、食堂・厨房施設の存続を求める「要望書」と、寮食堂を取り壊さない場合でもA棟建設は可能とする「調査書」を西村副学長に提出した。吉田寮自治会も食堂利用者に同調し、「A棟を焼け跡に建設する。寮食堂は補修する」方針をとった。2011年5月と6月、吉田寮自治会と大学当局はA棟について交渉し、大学当局は寮食堂の撤去を、吉田寮自治会は寮食堂の存続を改めて主張した。吉田寮自治会は寮食堂存続の理由として「食堂が外部に開かれたスペースとして、入寮資格枠の拡大など吉田寮自治会の運営に好影響を与えてきたこと、そしてこれからも与えるであろうこと」「吉田寮食堂が学内の数少ない自治自主管理スペースとして存続してきたこと」「食堂の雰囲気や構造が代替不可能であること」の三点を挙げた。一方、大学当局は食堂撤去の理由として「食堂の代替スペースでも自治自主管理は可能であること」「食堂を撤去すればより大きなA棟を作ることができ、寮の定員増加を達成できること」を挙げた。定員増加について吉田寮自治会は「寮食堂という吉田寮自治会にとって意義あるものを壊し、自治会に悪影響を及ぼしてまで増加を望んでいない」と反論した。議論は平行線を辿った。
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