編集の開始
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1926年(大正15年)12月25日に大正天皇が崩御したのち、実録編纂への動きが始まった。大正天皇実録を編纂するにあたり、宮内省図書寮編集課は「大正天皇実録編集案」(1927年(昭和2年)3月24日付け)を含む「大正天皇実録編集ニ付編集官補定員及雇員定額増加上申案」(1927年3月24日付け)を起案し、杉栄三郎図書頭の決裁を受けている。 「大正天皇実録編集案」の要旨は次の通りである。 実録編修の着手が遅れると史料収集が困難になり消滅する可能性がある。既存の5部ある実録編集機関に従事している者を編成替えすると遅れが生じ混乱を来たす恐れがある。よって新たに実録編修機関を1部設けるのが適当である。 大正天皇実録部は編修課長を主任とし、図書寮御用掛を2名、史料収集や採録及び筆写に従事する編集官補2名と雇員1名で構成する。大正天皇実録の史料となるものは他の歴代天皇実録に比べ広範で、史料収集に時間がかかるため、短期間に実録を完成させるには少なくとも以上の人員が必要である。 実録の編修期間は5年とする。1、2年目は史料収集を主とし、実録の起稿を従とする。3、4年目は実録の起稿を主とし、史料収集を従とする。5年目に整理補正をして完成させる。 実録の編修体裁は原則として編年体とし、事件の性質により紀事本末体とする。文体は漢文直訳体を用い荘重典雅を失わないようにし、各条に典拠となる書名を記すこと。明治天皇実録(紀)と体裁を統一するため、歴代天皇実録と異なり本文と史料を併載しない。 実録は完成後、印刷して朝野官民に対し天皇の高徳を敬仰し、天皇の偉業を瞻仰させる資に供することは、本実録の編修において最も意義あることである。ただ、公にはできない機密に依った内容もあるため、公にするにあたっては考慮のうえ内容の取捨を行う必要があるが、本件に関しては実録完成ののち改めて案をまとめ高裁を仰ぐこととする。 その後、細部を詰めたのち1927年(昭和2年)5月に一木喜徳郎宮内大臣に上申書が提出され同年6月6日付けで決裁されている。上申書では、編集要員は編集課長を主任とし、旧側近奉仕者(大正天皇侍従)であった落合為誠、北小路三郎両図書寮御用掛のほか、嘱託2名の計5名体制で、事業期間は5年を見込んでおり、当初の編集案と比べ人員が1名減っている。 1927年(昭和2年)6月14日に宮内省図書寮に大正天皇実録部が設けられ、実録の編修は1927年7月から開始された。1927年7月27日付けで、基本的な編集方針を示した全10個条からなる「大正天皇実録編集事務規定」が定められた。 「大正天皇実録編集事務規定」の要旨は次の通りである。 編集体制 - 宮内省図書寮編集課内に図書頭直轄の大正天皇実録部を新たに設置する。(第一条、第二条) 編集要員 - 監修・図書頭、監修補助・勤務事務官、編集主任・芝葛盛図書寮編集官、編集補助・北小路三郎図書寮編集官及び落合為誠図書寮御用掛、編集補助・梅田俊一図書寮嘱託及び嘉納履正図書寮嘱託。(第三条) 編集期間 - 1927年(昭和2年)7月から1932年(昭和7年)6月までの5年間。(第四条) 叙述の体裁 - 基本は編年体で、事件の性質によっては部会の決定に従って記事本末体を用いることができる。(第五条、第六条) 政治外交軍事その他の事柄に関する天皇の起居については、起居を明らかにし、必要であればその一端を記すのを妨げないが、部会の決定によるものとする。(第七条) 文体は漢文直訳体を用い荘重典雅を失わないようにする。(第八条) 凡例は随時部会で決める。(第九条) 宮内大臣へ報告するため、編集主任は毎年1回功程報告書を図書頭へ提出する。(第十条)
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