線増・新線建設の効果と評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 07:39 UTC 版)
「頸城トンネル」の記事における「線増・新線建設の効果と評価」の解説
この複線電化の直前に上越線・信越本線は単線区間を残しながらも全線電化が完成しており、首都圏と北陸地方は既存の東海道本線・米原駅・敦賀駅経由だけでなく、上越線もしくは信越本線を介しても架線で結ばれた。 このため新線開通直後の1969年(昭和44年)10月1日に行われたダイヤ改正では、特急「はくたか」(初代:上野駅 - 金沢駅)が経由を信越本線(碓氷峠)から上越線へ変更の上で、気動車(キハ80系)から電車(485系)となった。運転時間(金沢行き列車、以下同様)は1965年(昭和40年)10月1日時点の7時間50分から、6時間35分に短縮され、うち、直江津駅 - 富山駅間は1時間58分から1時間28分へ30分短縮した。特に、直江津駅 - 糸魚川駅間の所要時間については、1968年(昭和40年)10月1日時点の44分から29分へおよそ15分短縮した。 また、普通列車についても1964年(昭和39年)10月時点で糸魚川駅 - 直江津駅間におよそ1時間半かかっていたところが、同改正で45~50分程度にまで短縮されている。 その後JR西日本では同区間を含む泊駅 - 直江津駅間の最高運転速度を130 km/h に引上げ、北陸新幹線開業まで同区間で運行した特急「はくたか」(2代:越後湯沢駅 - 金沢駅ほか)は、運転終了直前の2015年(平成27年)2月時点で直江津駅 - 富山駅間を最速1時間6分(越後湯沢行き21号)で走破した。また、旧線で生じていた各種の災害からも解放され、大島洋志(2014)では頸城トンネルを含む新線を「究極の防災」と評価している。 このように、輸送強化・防災という面では大きなメリットがあったものの、大島登志彦・中牧崇(2016)は「地域公共交通」という観点から、駅の移転などで地域における利便性が大幅に悪化したこと等を挙げた上で、新線のルート選定を「特急列車のスピードアップを前提としたもの」「地域輸送を二の次にして幹線輸送に特化したもの」と評価し、その後の地域輸送を主とするえちごトキめき鉄道への転換に当たって「直ちにその特性を発揮できない体制」にあるとした。ただし、このルート選定は先述したように、現在線での線増工事が困難であったことも一因である。 また、その後同地は北陸自動車道や北陸新幹線が建設され、いくつかのトンネルが掘削されているが、大島洋志(2014)ではこれらの工事に対して貴重な情報を提供したことも指摘している。
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