総統崇拝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:37 UTC 版)
「ナチスのプロパガンダ」の記事における「総統崇拝」の解説
アドルフ・ヒトラーをあらゆる疑念を超越し、近寄りがたく、栄光に満ちた指導者というイメージに様式化することは、ナチスのプロパガンダにとって中心課題であった(総統崇拝(ドイツ語版)、指導者原理)。そのためにはヒトラーのかなり疑わしい過去が隠蔽され、肯定的な作り話で覆われ徹底的に神格化された。「総統」の権限に対する盲目的信頼を生み出すことが目的であった。「総統、命令を、我らは従う (Führer befiehl, wir folgen)」は非常によく使われたスローガンだった。ドイツ国民だけではなくナチ党の指導部にまでこの様式化に屈した。研究プロジェクト「歴史と記憶」において、ナチス支持者へのインタビューを通じて実証に成功したように、ナチのプロパガンダと信奉者との相互作用によるものであった。一つにはドイツ国民の大多数が恥辱の気持ちで一杯であったこと、世界大戦のトラウマが未処理で、解消されていなかったこと、心理的退行と救済の幻想によって、他方はナチのプロパガンダによって操作されたものである。高位のナチ政治家は特定の政治的企図に疑いを持ったとしても、密告への恐れではなく、むしろ全能の父親像との過剰な自己同一化のために声を上げなかった。ヘルマン・ゲーリングは適切に表現している。「私には良心などない! アドルフ・ヒトラーこそ我が良心である。」 一方で同時にヒトラーの神格化や過剰な称揚を、「ヒトラーも君と僕と同じ人間だ」と個人的側面を提示して抑えようとする試みがあった。ハインリヒ・ホフマンは例えば1932年にパンフレット『知られざるヒトラー (Hitler wie ihn keiner kennt)』を出版し、そこでは「指導者(総統)」は子供好き、熱心な狩猟家、愛犬家、車好きとして紹介された。牧歌的なベルクホーフがこうした写真の背景を務めた。総じて言えば相反するヒトラーのイメージがあった。つまり孤高超然、また現代性、活力、節度、自然への愛といったものである。 「ナチスの動物保護(ドイツ語版)」および「ナチズムと環境保護」も参照 ヒトラーと、菜食主義の他のナチ支持者に至っては、作曲家リヒャルト・ワーグナーの著作『宗教と芸術(ドイツ語版)』の影響を受けていた。そこでは肉の消費や調理はセム的、非アーリア的遺産として批判されている。
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