絹本著色相州鎌倉七里浜図とは? わかりやすく解説

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絹本著色相州鎌倉七里浜図〈司馬江漢筆/二曲屏風〉

主名称: 絹本著色相州鎌倉七里浜図〈司馬江漢筆/二曲屏風
指定番号 1957
枝番 00
指定年月日 1997.06.30(平成9.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書 寛政八年六月年記がある
員数 一隻
時代区分 桃山
年代
検索年代
解説文:  江戸時代後期洋風画は、陰影法遠近法といった西洋画法を用いた日本の風景図が開拓されていった点にその美術史意義のひとつがあり、創始者とされる小田野直武一七四六-八五)は、短い活躍期に西洋画法による日本の風景画を相当数遺している。しかし、それは墨と伝統的な絵具用いて描かれたものであった
 司馬江漢しばこうかん】(一七四七-一八一八)は荏胡麻の油を用いた油彩技法実践して日本風景画を大量に制作した。そのうえ、西洋画法による日本風景画を各地社寺奉納することにより、この新奇な絵画広く一般民衆目に触れしめ、洋風画啓蒙普及させるうえに大きな役割果たした
 寛政年間後期から文化初年にかけて、江漢日本の風景画を中心とする大額絵馬神社仏閣奉納した。しかし、そのなかで現存するのは愛宕山奉納され本図と、厳島神社奉納の「木更津浦之図」のみである。「木更津浦之図」は残念ながら画面傷み激しいが、本図は「蘭画銅版画引札」が出た文化六年(一八〇九)までに愛宕社からはずされたため、比較的よい状態で伝えられてきた。
 江漢富士画家といえるほど富士山数多く描いているが、江漢作品全体なかでも富士を望む七里浜図の作例多く、ことに得意とする画題であったらしい。数ある江漢の「七里浜図」作例なかでも本図とりわけ描写生彩があり、江漢油彩日本風景画の最も代表的な作例といえる
 本図広大な空間表現青い空描写特異な波頭表現等は、北斎はじめとする同時代浮世絵師等に影響及ぼしまた、亜欧堂田善一七四八一八二二)等が本図追随する作品制作している。
 なお、本図の上部に貼り付けられている大田南畝おおたなんぼ】(一七四九一八二三)の「辛未」即ち文化八年一八一一)の年記がある題詩は、『一話一言』巻三十六に「司馬江漢絵馬 近頃まで愛宕山にかけてありし絵馬はりかへ時、青山堂これを得て〓〓して携来。」として、本図略図とともに収録されている。同書三十六は文化八年記録である。これにより、本図入手した青山堂掛幅改装し南畝のもとに持参したこと、また、このとき南畝題詩書き与えたことがわかる。もうひとつ題詩書いた中井董堂(一七五八一八二一)は江戸書家で、南畝同様狂歌よくした人物である。本図は後に池長孟コレクション入り、同コレクション神戸市寄贈され神戸市立南蛮美術館保管されていた間に、現在のような屏風装に変更されたものである
 司馬江漢代表作として、西洋画法で描かれ油彩日本風景画の初期作例として、本図美術史意義大きい。



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