組合支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/16 16:51 UTC 版)
1922年3月の出所後、生涯の友ジェイコブ・"グラ"・シャピロと知り合い、ガーメント地区(アパレル問屋街)で犯罪活動を始めた。一説にベンジャミン・ファインの労働組合たかりの一派にいたという。ファインが摘発された後はリトルオーギー・オーゲンのギャングで下働きしていた。シャピロと共にガーメント地区の組合でオーナーと労働者の両方に上納金取立てを行った。この頃、ラッキー・ルチアーノと、オーゲンのパトロン、アーノルド・ロススタインを通じて知り合った。逆らう者には店の破壊、放火、暴行など制裁を加えた。ライバルギャングのネイサン・"キッドドロッパー"・カプラン(英語版)が殺されると、そのテリトリーを縄張りに加え、更に1927年10月、ロススタインと語らってオーゲンを銃殺した(オーゲンの用心棒のレッグス・ダイアモンドも銃弾を浴び大怪我した)。オーゲン殺しで逮捕されたが、証拠不十分で釈放された。 カプランら従来のレイバーギャングは組合を脅して金をとっていたが、バカルターは配下を組合内部に送り込み、中からコントロールする手法を取った。手下が組合員を焚き付けて騒動を起こさせ、組合リーダーはバカルターに解決を依頼、バカルターは手下に処理させ、リーダー達から手数料を取る。組合選挙は、投票箱を監視するバカルターの武闘団に仕切られ、組合人事を動かした。組合の実権を握ってから、経営者・工場主に狙いを定める。組合問題の折衝を請け負って配下を送り込み、会社の帳簿を管理させ、腹心の業者と外注契約を結ばせて業者からキックバックを得た。衣料職人やパン屋など比較的おとなしい職人集団をターゲットにした。反抗する者は配下のギャングがこん棒で痛めつけ、当局に密告する組合員には顔に酸をかけ、抵抗する工場主には商売道具や商品を破壊した。 こうして革製品、パン屋配送業、花屋、毛皮メーカー、帽子工場、輸送会社など幅広い分野に影響力を広げた。組合会費や上納金の収入はうなぎのぼりになり、側近のシャピロやハイミー・ホルツはバカルターを天才と呼んだ。その後も水供給業、建設、ホテル、レストランに勢力を広げた。バカルターの組合利権はシチリア勢のサルヴァトーレ・マランツァーノにうらやましがれ、またジョー・マッセリアより稼いでいたと言われる。手下のギャングは定額給ではなく、経験と実績に基づくサラリー制とし、見習いは週25-35ドル、経験を積むと週125-150ドルまで上がった。バカルターのギャング団は、250人規模のスラッガーとガンマンの混成軍団と言われた。 1930年代、著名な組合運動指導者だったシドニー・ヒルマン合同衣類労働組合議長とタッグを組み、政敵を封じ込める汚れ役を引き受ける代わりに組合犯罪の告発から保護された。1930年代初めガーメント地区に進出したイタリア系のルッケーゼ一家と提携した。 1931年、戦争で夫を亡くしたロシア系英国人の未亡人と結婚し、連れ子を養子にして溺愛した。ミッドマンハッタンの豪勢なマンションに住み、運転手の車で競馬場に足を運んだ。冬はフロリダ、カリフォルニア、ホットスプリングスなど全米を旅行した。ジミー・ハインズ、ジョー・アドニス、ルチアーノ、マイヤー・ランスキーらとホットスプリングスに旅行に出かけた。
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