終戦工作への態度とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 終戦工作への態度の意味・解説 

終戦工作への態度

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:49 UTC 版)

東條英機」の記事における「終戦工作への態度」の解説

1945年昭和20年2月26日には、天皇対し知識階級敗戦必至論はまこと遺憾であります」と徹底抗戦上奏この上奏の中で、「アメリカはすでに厭戦気分蔓延しており、本土空襲はいずれ弱まるでしょう」、「ソ連の参戦可能性は高いとはいえないでしょう」と根拠欠け楽観的予想述べたが、この予想は完全に外れることになった終戦工作進展に関してはその一切批判的姿勢を崩さなかった。東條はかつて「勤皇には狭義広義種類がある。狭義君命にこれ従い和平せよとの勅命があれば直ちに従う。広義国家永遠のことを考え、たとえ勅命があっても、まず諌め、度々諫言しても聴許されねば、陛下強制して初心断行する。私は後者をとる」と部内訓示していた。また、広島・長崎への原爆投下後も、降伏屈辱だと考え戦争継続こだわっていたことが手記によりあきらかになっている。 だが、御前会議天皇終戦聖断が下ると、直後開かれた重臣会議において、「ご聖断がありたる以上、やむをえない思います」としつつ「国体護持可能にするには武装解除をしてはなりません」と上奏している。御前会議結果知った軍務課の中堅将校らが、東條クーデター同意期待して尋ねてくると、東條答えは「絶対に陛下ご命令そむいてはならぬであった。さらに東條近衛師団司令部に赴き娘婿古賀秀正少佐に「軍人いかなることがあっても陛下ご命令どおり動くべきだぞ」と念押ししている。だが、古賀宮城事件参加し東條別れてから10時間後に自決している。また陸軍中には東條戦争継続上奏して陛下から叱責された」という噂が流れた[要出典]。 しかし東條戦時中すべての和平工作拒絶していたというわけではない。戦局が完全に日本に有利であった1942年昭和17年8月20日アメリカで抑留から戦時交換船帰国した直後来栖三郎に対して今度いかにしてこの戦争早く終結し得るかを考えてくれ」と言った伝えられており、終戦について早い段階から視野入れていなかったわけではないことが2000年代ごろに判明している。1945年8月13日日記には「私はこんな弱気国民と思わずに戦争指導あたった不明を恥じる」と国民責任転嫁する言葉を残している。

※この「終戦工作への態度」の解説は、「東條英機」の解説の一部です。
「終戦工作への態度」を含む「東條英機」の記事については、「東條英機」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「終戦工作への態度」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「終戦工作への態度」の関連用語

終戦工作への態度のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



終戦工作への態度のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの東條英機 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS