終戦工作への関与から憲法研究会まで
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「岩淵辰雄」の記事における「終戦工作への関与から憲法研究会まで」の解説
太平洋戦争末期の1945年初め、岩淵は近衛や吉田茂を中心とした、いわゆる「ヨハンセングループ(吉田反戦グループ)」による早期終戦の和平工作に参加して「近衛上奏文」の草稿作成に関与した。彼はこのグループ内で最も活動的な工作者として皆を励まし引っ張っていく役回りであり、このため同年4月に吉田茂・殖田俊吉とともに憲兵隊に逮捕された(このさい憲兵からは「イワン」の暗号名で呼ばれていた)ものの、その後釈放された。 敗戦直後の時期の岩淵は舞台裏でなにがしかの政治的影響力を用いた。その一つが憲法改正(新憲法制定)への関与であり、日本人による自主的な憲法改正をめざしていた岩淵は、まず近衛に憲法改正案を作成するよう説得した。しかし彼の案が保守的内容であったことに失望し、11月、高野岩三郎を中心とする憲法研究会に参加、民間からの改正案作成に従事することとなった。彼の改憲構想は天皇から大権を除去して国民主権を実現し天皇は象徴的存在にとどめるというもので、同年末、研究会はその案を盛り込んだ「憲法草案要綱」を発表した(その後「要綱」は、これを入手したGHQによって検討され「マッカーサー草案」の内容に影響を及ぼした)。その一方で岩淵は行政機構に民間人を採用するよう新聞などで提言した。
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