終戦工作の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 04:50 UTC 版)
日本軍が有利な展開なうちに早期に休戦・終結させる試みは、1942年(昭和17年)の時期から一部の政治家・官僚・民間人の間で摸索された。しかし、戦争勝利を大義とした東條内閣及び軍部により弾圧され、中野正剛のように自決に追い込まれる者もいた。終戦工作としては、他に以下のようなものが知られる。 燕京大学学長ジョン・スチュワート(英語版)や上海市長周仏海を仲介者とする和平工作。 日本軍今井武夫参謀副長と中国国民軍何柱国(中国語版)上将との和平協議。 水谷川忠麿男爵(近衛文麿の異母弟)と中国国際問題研究所何世禎との和平工作。 駐日スウェーデン公使ウィダー・バッゲ(英語版)を仲介者とするイギリスとの和平工作。また、小野寺信駐在武官もドイツの親衛隊諜報部門の統括責任者であるヴァルター・シェレンベルクと共にスウェーデン王室との間で独自の工作を行った。だが、ソ連との交渉に専念したい東郷の意向で延期されたまま終戦を迎えた。 スイスにおけるアメリカ戦略事務局のアレン・ダレスを仲介者とした岡本清福陸軍武官・加瀬俊一公使や藤村義朗海軍武官らによる和平工作。 これらはいずれも和平条件の問題や日本側による仲介者への不信、時機などから、実現には至らなかった。
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