終戦後から最晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 06:41 UTC 版)
終戦後は東京に戻り、大東文化学院で再び教鞭を執った。昭和23年(1948)大東文化学院総長に就任。同年7月には鄰の古希祝が学士会館で行われ、金田一京助を始め帝大教授多数が参加し、記念の写真が残っている。しかし、この頃胃癌に罹患していたことが判明した。 新制大学・大東文化大学誕生を見ずに同年12月24日に死亡した。総長在任期間は9カ月であった。
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