第3回鈴鹿8時間耐久ロードレース
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「吉村秀雄」の記事における「第3回鈴鹿8時間耐久ロードレース」の解説
1980年、この年から鈴鹿8耐は世界耐久選手権に組み込まれ、ヨーロッパで耐久レースに参加していたライダー達の参加が増加した。マシンもTT-F1に準拠した市販車ベースのレギュレーションに変更され、2ストロークの市販レーサーは出場ができなくなった。この年ヨシムラはウェス・クーリーとグレーム・クロスビー組に加え、リチャード・シュラクター、マイク・コール組の2台体制で参戦した。参戦当初に比べチームの規模も大きくなり、ライダーやクルーは総勢50名以上の大所帯になっていた。食事の準備に追われた南海子や由美子は沢山の人数が同時に食事が出来るようバーベキューを準備していると、日本の食事に慣れないとのことでスタッフにつれて来られたエディ・ローソンなども加わり、参加者はヨシムラスタッフに留まらず多い時には80名近くにのぼった。 予選ではクロスビーがポールポジションを獲得し、シュラクター、コール組も5番手につけた。序盤はクロスビーが先行し、デビッド・アルダナがこれに続くも徐々に順位を落とし、3時間が経過した時点でクーリーとローソン以外は周回遅れという一騎討ちの様相を呈していた。5時間が経過した頃、クロスビーとローソンの間にマイク・コールが挟まれ、ヘアピンでローソンがインからコールをパスしようと試みるも接触し、両者とも転倒した。コールは転倒した際に腕を骨折しリタイア。ローソンは大事に至らず、車両を起こしてコースへ復帰した。カワサキがタイヤ交換に手間取る間にクロスビーはその差を広げるも、130周を終えた時点でブレーキにトラブルが発生し、これの解決に3分を要した。そのため、逆にハンスフォードに50秒近くの遅れをとった。 しかし終盤クロスビーはローソンが2分22秒台で周回を重ねるところ2分20秒台で追い上げ、6時24分にカワサキがピットインする間にトップに返り咲いた。この時、吉村は最後の給油のタイミングでライダーを交代させるかを悩んでいた。持病の糖尿病をかかえたクーリーは疲労の色が濃く、またクロスビーも1時間近く全力で走り続けていた。結局、クロスビーに勝負を託すと、クロスビーはハンスフォードが2分25秒台にタイムを落とす中、2分22秒台で走り続け、7時31分、そのままチェッカーフラッグを受けた。8時間走り続けてクロスビーとハンスフォードの差は40秒26であった。加えて、レース終了後マシンをチェックするとリアタイヤは釘が刺さってパンクしており、クラッチハウジングを分解するとベアリングも壊れているという辛勝であった。 第3回鈴鹿8時間耐久ロードレース結果 (抜粋) 順位ゼッケンライダーライダーマシン周回数ゴール時間予選順位予選タイム1 12 ウェス・クーリー グレーム・クロスビー スズキ・GS1000 200 8h01:03.54 1 2:17.62 2 11 グレッグ・ハンスフォード エディ・ローソン カワサキ・Z1 200 8h01:43.80 3 2:18.25 3 2 マーク・フォンタン エルブ・モアノー ホンダ・RS1000 197 8h01:04.69 9 2:21.45 4 14 ジャン・ベルナール・ペイネ ピエール・エティエール・サミン スズキ・GS1000R 197 8h01:35.63 6 2:19.46 5 22 木山賢悟 阿部孝夫 ホンダ・CB900 196 8h01:50.64 4 2:18.95 6 9 ロン・ハスラム ロジャー・マーシャル ホンダ・CB900 196 8h03:24.47 7 2:19.78 7 21 清原明彦 徳野政樹 カワサキ・Z1 193 8h03:17.33 12 2:22.43 8 3 ヘルムート・ダフネ(英語版) アロイス・トスト ホンダ・RS1000 192 Ret 18 2:26.14 9 6 ヨハン・バン・デ・バル ベルト・シュトリュック ホンダ・CB900 188 8h01:47.49 21 2:27.20 10 27 富江昭孝 多田喜代一 カワサキ・Z1 188 8h02:00.75 10 2:21.70 予選最速タイム - グレーム・クロスビー - 2:17.62 決勝日 - 7月27日 観客数 - 105,000人 天候 - 晴
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