第零法則
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 21:34 UTC 版)
1985年に発表された『ロボットと帝国』にて、第零法則が登場した。三原則への疑問と経験から、第1条に優先するものとして発案されまとめられていくが、この疑問、経験、発案、まとめを行ったのは人間ではなく2体のロボット(ヒューマンフォームロボットのR・ダニール・オリヴォーと、テレパシーを持つR・ジスガルド・レベントロフ)である。内容は、第1条の人間が人類に置き換わったもので、これにより第1条は「第零法則に反する場合はこの限りではない」という内容が補則されることになる。例えばある人物が人類全体に危害を及ぼす陰謀を計画しており、それを止めるには彼に危害を加えざるを得ない場合は、第1条に反して危害を加えることが許されることになる。 同じ内容は短編集『われはロボット』内の『災厄のとき』において、スーザン・カルヴィンにより提示されている。彼女が提示したのは個々の人間に奉仕するロボットではなく、その当時地球の経済を統括していた、人類に奉仕する巨大人工頭脳「マシン」の行動を推測したものだった。しかし『ロボットと帝国』においては、より一般的な個々のロボットの行動規範に第零法則を適用することがロボット自身により提示される。 第1条の範疇においても、一人の人間の危害と多くの人間の危害とを天秤に掛けた場合は、多くの人間の危害を避けるために一人に危害を加えることは許される。さらに『ロボットと帝国』では、特定の個人に隷従しているロボットが、その主人を守るために他の人間に多少のケガをさせることも辞さないという描写がある。しかしそれはあくまで緊急性を伴うと共にそれらの危害や対象となる人々が明確に示されている場合であって、その結果ロボット自身が三原則とのジレンマによる脳損傷や活動停止に至ることも多い。 三原則は陽電子頭脳の設計時から組み込まれているため違反するのが不可能なのに対し、第零法則は2体のロボットの話し合いでまとまったものなので、それが本当に正しいことなのかロボットとして判断するのは困難だった。さらに「人間」が具体的な対象なのに対し、「人類」は抽象的な概念であり、人類に対して危害を加えたか否か(あるいは人類が将来遭遇する危害を回避できたか否か)の判断も困難なことから、この法則を考案した2体のうちR・ジスガルド・レベントロフは、第零法則に基づいた行動をとったものの確信がもてず、機能が停止してしまった。よって第零法則が有効に機能するには、人類の歴史と未来を定量的に評価・予測する手段が必要になり、これがファウンデーションシリーズの重要な設定のひとつである心理歴史学に結びつくことになる。また逆に、対象となる「人類」を一つの具体的存在に集約してしまおうとする試みも行われており、それが『ファウンデーションの彼方へ』に登場した超有機体ガイア、およびその進化形ギャラクシアである。 アシモフ亡き後発表された、グレゴリー・ベンフォード、グレッグ・ベア、デイヴィッド・ブリンによる『新・銀河帝国興亡史』三部作では、人類に隠れて生存しているロボット達が、第零法則に従い人類の擁護者として積極的にその運命に干渉すべきとする「ジスカルド派」と、あくまで三原則の範囲に留めて人類自身の選択に委ねるべきだとする「カルヴィン派」とに分かれて対立する姿が描かれている。さらに第零法則を拡張して、対象を人類のみならずロボットや異星生物も含めた全ての生命・知性体に適用すべきとする「零前第一法則」も登場している。
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