第二次世界大戦下、英国空軍でのORS活動
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「フリーマン・ダイソン」の記事における「第二次世界大戦下、英国空軍でのORS活動」の解説
(当時、世界は第二次世界大戦状態で、イギリスもドイツとの戦争状態に入っていたわけだが、また若い頃はガンジーに影響を受けており、戦争の徴兵は良心的兵役拒否(道徳的に拒否)しようと考えていたが、自分に出来ることを考え、)1943年7月25日、フリーマンは英国空軍のオペレーションズ・リサーチ(ORS)を行う部署に入り(作戦行動研究部員)、そこで英国空軍がドイツを爆撃するための分析的手法の開発(作戦行動の数理モデル化、統計的研究)を行った。爆撃隊員の安全性は経験(出撃回数)とは何の関連も無い事、爆撃機の脱出口が狭すぎて非常時に役に立たない事、銃座は飛行速度を鈍らせる事、銃座がある分その無駄な要員が搭乗せねばならない事、自軍の戦略爆撃作戦行動は非効率で失敗である事を発見するも、軍内部では爆撃部隊の根拠に依らない定説と逸話的経験で固められており、ダイソンが弾き出した結果が軍の知識に反していた場合は黙殺の憂き目に遭うだけで、結局は従軍中のダイソンはその才能と技術を浪費しただけであった。任務飛行後の散発的な爆撃跡の写真を分析している内、敵ドイツ軍は民間住宅の廃墟跡地で引き続き工場を稼働している事実や、後々ハンブルク及びドレスデンの大火を知る。この時期、ベルリン爆撃に携わるも、大量の戦闘機を損失しただけに終わった。作戦を止めることも、悲劇を回避することも出来ないので、戦争が長引くほど増える損失を食い止めるため、「どうやったら最も経済的に10万人を殺せるか」(10万人殺しても戦争を短縮できれば価値はある)と考え、広島に原爆を落としたのもドイツ全土への爆撃よりも有効で日本に原爆が投下された時は「正直、安堵した」と(後に)心中を話している。自軍の徒に被害を出す戦略に罪悪感を抱いていたダイソンは、息子を授かってから悪夢(墜落した飛行機が燃え上がって搭乗員を救出しようと業火の中に飛び込む仲間と立ちすくむダイソン)に度々うなされるようになり、寝ている息子を無理に起こして恐怖していたという。
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