第二次世界大戦下の京都
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:04 UTC 版)
第二次世界大戦中、六大都市(東京・大阪・京都・名古屋・神戸・横浜)の中では、空襲の大きな被害を受けなかったこともあり、日本の都市としては珍しく戦前からの建造物が比較的多く残されている。これは歴史遺産保護のために大規模空爆を受けなかったという説がある一方、広島市や小倉市(現在の北九州市小倉北区・小倉南区)・新潟市などと共に原子爆弾の投下候補都市と位置付けられており、その兵器の効力を知るためにアメリカ軍が最後まで街を温存したという説が存在する(都市選定の経過については日本への原子爆弾投下を参照)。なお、京都が全く空襲を受けなかったわけではなく、1945年(昭和20年)1月16日から6月26日にかけて、5回の空襲を受けている(京都空襲)。 戦災による人口減は六大都市(東京都区部と五大都市)のうち最少で、1947年(昭和22年)と1950年(昭和25年)の国勢調査では名古屋市を上回り、東京都区部、大阪市に次いで京都市が全国3位となった。
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