第一次ニューカッスル公爵内閣とは? わかりやすく解説

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第1次ニューカッスル公爵内閣

(第一次ニューカッスル公爵内閣 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 17:59 UTC 版)

第1次ニューカッスル公爵内閣(だい1じニューカッスルこうしゃくないかく、英語: First Newcastle ministry)は、1754年から1756年まで続いた、ニューカッスル公爵を首相とするイギリスの内閣。前任の首相でニューカッスル公爵の弟であるヘンリー・ペラムが1754年に死去すると、ニューカッスル公爵は改めて組閣したが、内閣は1756年のミノルカ島陥落により七年戦争対策を批判され、直後に崩壊した。内閣で影響力の最も大きい閣僚は1754年12月に戦時大臣として入閣した後、1755年11月に庶民院院内総務に転じたヘンリー・フォックスである。

その後、ニューカッスル公爵は1757年に大ピットと連合して第2次ニューカッスル公爵内閣を組閣した。

内閣

下記には閣僚と閣外大臣の両方が含まれている。

役職 肖像 名前 在任
第一大蔵卿[1]
貴族院院内総務
ニューカッスル公爵 1754年 - 1756年
財務大臣[2] サー・ウィリアム・リー 1754年
ヘンリー・ビルソン=レッグ 1754年 - 1755年
サー・ジョージ・リトルトン準男爵 1755年 - 1756年
第二大蔵卿 ダーリントン伯爵 1754年 - 1755年
サー・ジョージ・リトルトン準男爵 1755年 - 1756年
大法官[3] ハードウィック伯爵 1754年 - 1756年
枢密院議長[4] グランヴィル伯爵 1754年 - 1756年
王璽尚書[5] ゴア伯爵 1754年 - 1755年
マールバラ公爵 1755年
ゴア伯爵 1755年 - 1756年
南部担当国務大臣[6]
庶民院院内総務
トマス・ロビンソン 1754年 - 1755年
ヘンリー・フォックス 1755年 - 1756年
北部担当国務大臣[6] ホルダーネス伯爵 1754年 - 1756年
補給庁長官英語版[7] 空位 1754年 - 1755年
マールバラ公爵 1755年 - 1756年
海軍大臣[8] アンソン男爵 1754年 - 1756年
スコットランド国璽尚書英語版[9] アーガイル公爵英語版 1754年 - 1756年
宮内長官英語版[10] グラフトン公爵 1754年 - 1756年
主馬頭 マールバラ公爵 1754年 - 1755年
ラトランド公爵 1755年 - 1756年
ランカスター公領大臣 エッジカム男爵 1754年 - 1756年
アイルランド総督 ドーセット公爵 1754年 - 1755年
デヴォンシャー公爵 1755年 - 1756年
主馬頭[11] ハーティントン侯爵 1754年 - 1755年
ドーセット公爵 1755年 - 1756年
陸軍支払長官 大ピット 1754年 - 1755年
ダーリントン伯爵(ダプリン子爵と共同) 1755年 - 1756年
ダプリン子爵(ダーリントン伯爵と共同) 1755年 - 1756年

脚注

  1. ^ Haydn's Book of Dignities” (英語). p. 112 (1851年). 2019年4月12日閲覧。
  2. ^ Haydn's Book of Dignities” (英語). p. 168 (1851年). 2019年4月12日閲覧。
  3. ^ Haydn's Book of Dignities” (英語). p. 105 (1851年). 2019年4月12日閲覧。
  4. ^ Haydn's Book of Dignities” (英語). p. 119 (1851年). 2019年4月12日閲覧。
  5. ^ Haydn's Book of Dignities” (英語). p. 147 (1851年). 2019年4月12日閲覧。
  6. ^ a b Haydn's Book of Dignities” (英語). p. 172 (1851年). 2019年4月12日閲覧。
  7. ^ Haydn's Book of Dignities” (英語). p. 192 (1851年). 2019年4月12日閲覧。
  8. ^ Haydn's Book of Dignities” (英語). p. 160 (1851年). 2019年4月12日閲覧。
  9. ^ Haydn's Book of Dignities” (英語). p. 401 (1851年). 2019年4月12日閲覧。
  10. ^ Haydn's Book of Dignities” (英語). p. 206 (1851年). 2019年4月12日閲覧。
  11. ^ Haydn's Book of Dignities” (英語). p. 209 (1851年). 2019年4月12日閲覧。

関連項目

  • 七年戦争におけるイギリス英語版
先代
ブロード・ボトム内閣
グレートブリテン王国の内閣
1754年 - 1756年
次代
ピット=デヴォンシャー公爵内閣

第一次ニューカッスル公爵内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:58 UTC 版)

トマス・ペラム=ホリス (初代ニューカッスル公爵)」の記事における「第一次ニューカッスル公爵内閣」の解説

第1次ニューカッスル公爵内閣」も参照 1754年3月に弟が死去。代わって組閣の大命受けたのがニューカッスル公だった。しかし彼は貴族院議員であり、庶民院内にパートナーにするほど信頼できる有力者を見つけられなかったので、第一次ニューカッスル公爵内閣は発足当初より不安定だった同年行われた解散総選挙与党勝利終わったものの、11月から招集され議会では、庶民院内に大きな勢力を持つウィリアム・ピット大ピット当時陸軍支払長官)やヘンリー・フォックス(当時戦時大臣)が政権不満分子となって公然と政権批判展開した折しも北アメリカフレンチ・インディアン戦争勃発しイギリスは対仏開戦したが、陸でも海でも敗北した。またヨーロッパ大陸情勢不穏になったため、同君連合ハノーファー選帝侯領を守るべく、1755年夏から秋にかけてヘッセン=カッセル方伯領およびロシア帝国条約結んだが、その見返りとしてこの両国多額供与金を与えることになったため、この政策批判された。ニューカッスル公爵庶民院内の反対勢力抑え込むべく、同年11月フォックス庶民院院内総務任じて懐柔するとともにピット政府役職から更迭した。 ニューカッスル公爵外交革命によってヨーロッパでの戦争防げると楽観視していた。しかし、フランス1756年5月トゥーロン大軍集結させ、地中海に浮かぶ英領ミノルカ島上陸させた(セント・フィリップ砦包囲戦)。イギリス5月17日フランスに対して宣戦布告した七年戦争)。しかし、ミノルカ島奪還派遣されジョン・ビング率い艦隊敗北しミノルカ島の海戦)、ミノルカ島6月28日占領された。これに世論激昂しニューカッスル公爵ビング対す批判高まったビング提督軍法会議かけられ銃殺刑処せられた。ニューカッスル公爵ビングに全責任押しつけ、彼を軍法会議にかけることで保身図ったが、イギリス軍北アメリカでも敗戦重ねたため、批判熱は収まらなかった。内閣見切り付けたフォックス庶民院院内総務辞職ニューカッスル公爵大ピット協力要請する拒否され総辞職避けられなくなった11月内閣総辞職、代わって第4代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ首相に就任したが(ピット=デヴォンシャー公爵内閣)、事実上指導者大ピットだった。しかし、ニューカッスル公爵排除して作られたこの政権与党内の支持広げられず、1757年4月国王から更迭された。

※この「第一次ニューカッスル公爵内閣」の解説は、「トマス・ペラム=ホリス (初代ニューカッスル公爵)」の解説の一部です。
「第一次ニューカッスル公爵内閣」を含む「トマス・ペラム=ホリス (初代ニューカッスル公爵)」の記事については、「トマス・ペラム=ホリス (初代ニューカッスル公爵)」の概要を参照ください。

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