笠置温泉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 08:06 UTC 版)
笠置温泉(かさぎおんせん)はかつて京都府相楽郡笠置町にあった温泉。
概要

関西本線笠置駅の近く、笠置山のふもとに温泉街が広がっていた。
かつては「大阪の奥座敷」とも呼ばれ、笠置寺などとともに観光資源として多くの観光客を入れ込んでいた[1]が、2025年現在温泉施設は姿を消している。
歴史
有市鉱泉
初めに使われていた源泉。歴史は古く、江戸期にはすでに泉源が確認されていた[注 1][2]。
明治初期に、理科学者である明石博高によって本格的な活用が始まる。当時の源泉は市街地から東に離れた川沿い(木津川橋梁付近)にあったとされる。同氏の著書によれば1872年の計測において、弱酸性の炭酸泉で、摂氏7度の状態での比重(本重)が1.0635であると記されている。また、後年に出版された『日本鉱泉誌』には泉温が64℉(18℃)であるなどより詳細な記述がなされている[2]。
飲用炭酸水としての利用が主[注 2]だったが、1897年には源泉近くに温泉旅館が創業し、浴用としても活用された。これがのち(時期不明)に駅前に移転し、田山花袋も訪れたといわれる「笠置館」である。当時は伊賀街道に代わり関西本線が主要幹線となり、また笠置山が国指定名勝となったことも相まって多くの観光利用があった。当初は船で源泉を運んでいたが、のちにパイプラインが引かれた[2]。
又昭和初期のパンフレットおよび当時の写真葉書によると、笠置館の対岸に「笠置新温泉」という温泉リゾートが形成されている。これはいつごろ造られいつごろ廃れたのか定かではないが、同じ源泉を用いたものと思われる[3][4]。
しかし1928年に源泉地付近に東邦電力相楽発電所が建設され[5]、さらに後年のジェーン台風および伊勢湾台風の影響でパイプが破損し給湯が困難になると笠置館では温泉の扱いを止め、2020年に閉館するまで料理旅館として営業していた[2][注 3]。
笠置大光天温泉
「笠置観光ホテル」は、笠置館での温泉供用が止まった後と思しき1962年ごろに、旧源泉地寄りに開業したホテル[6][注 4]。
「笠置大光天温泉」なる独自源泉を1983年から開削し利用していた[注 5]。泉質はアルカリ性ナトリウム炭酸泉とされる[2]。
国道163号笠置トンネル開通でホテルの前の道が旧道となり、利用者減を打開する策として掘削されたという話もあるが、1990年ごろに廃業した[7]。現在も建物は解体されておらず、関西でも有名な廃墟および心霊スポットとして無断立ち入りや不審火が相次いでいる[6]。
わかさぎ温泉
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温泉情報 | |
交通 | #交通参照 |
泉質 | ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉 |
泉温(摂氏) | 32.5 °C |
湧出量 | 32L/分 |
pH | 7.7 |
液性の分類 | 弱アルカリ性 |
浸透圧の分類 | 低張性 |
温泉施設数 | 0 |
特記事項 | 2019年から休館。 |
日帰り入浴施設「わかさぎ温泉笠置いこいの館」として1997年に町の出資で新たに源泉(弱アルカリ性ナトリウム炭酸水素塩塩化物泉)を掘削し開業した[注 6]。
2000年にピークを迎えるもその後減少に転じ、2018年からはフェイセスによって運営がなされたが[8][9]、2019年から長期休館中である[注 7]。地域住民からは再開を望む声も大きいといい、2022年発表の第 4 次笠置町総合計画において町は再開を目指していると明記されている[10]。
交通
明治後期の関西鉄道の時代には月ケ瀬梅林とともに観光の目玉として盛んに喧伝されていた[11]。一時期は急行「かすが」などの優等列車が笠置駅に停車したり、京都・大阪・奈良から当駅までの直通列車が運行されることもあったりしたが、1973年に湊町~奈良間が電化されたことで運転系統が奈良で分離され大阪市内からの直通列車がなくなり、さらに1988年の木津~加茂間の電化完成に伴い運転系統が加茂で分離されたため奈良からの直通列車もなくなった[注 8]。これが温泉街衰退の遠因とされることもある[12][13][注 9]。
脚注
- ^ “001216397.pdf”. 国土交通省 (2018年). 2025年5月3日閲覧。
- ^ a b c d e 由紀, 樽井 (2021年1月29日). “明治期に瓶詰で発売された稲竈鉱泉(現笠置温泉) 京の湯浴み万華鏡(其の三) - Kyoto Love. Kyoto 伝えたい京都、知りたい京都。”. kyotolove.kyoto. 2025年4月27日閲覧。
- ^ “kfb080-Kasagi Shin Onsen 笠置新温泉全景 山城 相楽郡”. 絵葉書資料館. 2025年4月27日閲覧。
- ^ “温泉2カ所、宿場町として活気 昭和初期の観光パンフに活性化のヒントが|京都新聞デジタル 京都・滋賀のニュースサイト”. 京都新聞デジタル (2022年1月20日). 2025年4月27日閲覧。
- ^ “水力発電所ギャラリー 関西電力相楽発電所 - 水力ドットコム”. www.suiryoku.com. 2025年4月27日閲覧。
- ^ a b “笠置観光ホテルは取り壊されたの?心霊現象の噂も調査!│都市伝説パラダイス”. urbanlegend.jp. 2025年4月27日閲覧。
- ^ “笠置観光ホテル – 霧に包まれた山奥の廃ホテル – 山と終末旅”. 2025年4月27日閲覧。
- ^ “『笠置観光ホテルの怪奇現象と、その後を取り巻く環境ですな!』”. アメーバ版金色のソーマ酒. 2025年4月27日閲覧。
- ^ 産経新聞 (2018年4月21日). “経営難で休館中の温泉施設、飲食店経営会社が運営へ 京都・笠置町、27日に営業再開”. 産経新聞:産経ニュース. 2025年4月27日閲覧。
- ^ “sougoukeikaku-kasagi.pdf”. 笠置町 (2022年3月). 2025年5月3日閲覧。
- ^ “_pdf (新聞広告に現された明治時代の月瀬)”. j-stage (1995年). 2025年5月3日閲覧。
- ^ maruiwa_mag (2023年3月29日). “【2023年最新】京都の廃墟「笠置観光ホテル」の現在と施設内のグラフィティー写真付きで紹介”. BOMB mania(ボムマニア). 2025年5月3日閲覧。
- ^ 刺身タンポポ / 関西マニアックさんぽ (2025-04-26), 【廃墟】大阪直通列車の廃止で衰退した温泉街…ついに温泉施設ゼロに… 2025年5月3日閲覧。
注
- ^ 当時は稲竈鉱泉と呼ばれた。
- ^ 日本初の炭酸飲料ともいわれる。
- ^ この資料を参照すると、笠置館には閉業後も「笠置温泉」の表示が玄関前などに残っている。理由は不明。
- ^ 航空写真を参照しても、1961年に建設中と思しき工事作業の様子が空撮されており、1963年には建物が確認できる。
- ^ この資料を参照すると、ホテルの休業期間中に掘られたと考えられる。
- ^ 旧笠置館前の案内板には「わかさぎ温泉(外湯)紅葉屋」と書かれていたが、旅館「紅葉屋」の温泉に言及している資料が未発見であり、関連性は一切不明である。
- ^ 休館直前期の経営にあたっては、指定管理料及び未納分の水道使用料の返還を求める町と、笠置いこいの館の設備に不備があったとして、損害賠償金を求めるフェイセスの間でのちに訴訟が行われたが、最終的に和解している。参照
- ^ 1989年9月から1994年5月にかけては、春秋行楽期に臨時快速「笠置ホリデー」が加茂~笠置で運転された。
- ^ 2010年に開かれた「2009年度議員交流会in相楽」において、当時の笠置町長である松本勇は、アクセスの悪さを議題に挙げ、関西本線の電化の陳情を行っているもののJR西日本が取り合ってくれていない、と語っている。
関連項目
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