種村直樹『さよなら国鉄 最長片道きっぷの旅』
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「最長片道切符」の記事における「種村直樹『さよなら国鉄 最長片道きっぷの旅』」の解説
竹下町駅(自動車線嬉野線) - 鵡川駅(日高本線・富内線) 鉄道趣味誌『鉄道ジャーナル』の1985年10月号より連載された企画。宮脇までは鉄道および国鉄連絡船のみで達成された片道切符なのに対し、種村直樹の場合は、国鉄自動車線も組み込んだ一筆書きによる最長片道切符を使用した点が特徴である。 この旅行が実施された当時、自動車線に跨る乗車券の有効日数はプラス数日と定められていたが、これは鉄道線による経路に一つの自動車線を組み込む事を想定したものであり、複数の自動車線を組み込んだ場合に乗車券の有効日数に関する取り決めは無かった。この件は国鉄全体を巻き込む議論となり、最終的にこの旅行では、自動車線1路線あたり1日を加算する運用規則が通達で定められた。これは自動車線を何度組み込んでも鉄道線の有効期限に対する加算日数を1日とした場合、順調に経路を進んだとしても有効期間内にこの旅行を終了できるかどうか疑問が生じ、有効期間内に旅行終了できない可能性の高い乗車券を発売することに対して国鉄内での議論となった為である。特別詮議で適当な有効日数を加算してはどうかといった案も出されたものの、自動車線に跨る乗車券に有効日数を1日加える趣旨は鉄道線のみの場合に比べて不便であることが前提となっているので、複数回自動車線を組み込む場合は組み込んだ回数分有効期間を加えるのが妥当であろうとの結論となった。この発券段階の経緯は種村が雑誌『旅』(当時、日本交通公社出版事業局刊)誌上でも明らかにしている。なお、経路への自動車線を組み込む場合の加算日数に関する議論はその後も国鉄内部で続けられ、最終的に自動車線を複数組み込んでも加算日数は1日のみとする規定に改められ、JRに引き継がれている。また、種村による発券時には東名高速線、名神高速線で昼行便と夜行便、更には夜行便で当時運行されていた東京-名古屋、東京-京都、東京-大阪の3路線は、路線認可自体がそれぞれ別のため互いに独立したものとして組み込んで可という見解が国鉄本社より示され、昼行と夜行の京都便、大阪便をルートに組み込んでいる。これも取り決めがなかったことによる当時の国鉄本社の見解であり、この発券後に拡大解釈過ぎるという意見も出たようで、その後片道ではなく連続乗車券扱いとされることになった。この東名、名神高速線の扱いに関しても経緯を前述『旅』誌上で明らかにしているが、これを「種村が強引に自ルールを国鉄に押し付けた特権的なもの」と根拠のない批判がネット上に散見される。 種村のこの旅行以外で自動車線を含む一筆書き旅行が行われたことはないため、このとき種村が使用した片道切符は名実共に史上に残る日本一最長の片道切符である。自動車線の廃止が相次いだことや、自動車線が分離され子会社となったことにより、連絡運輸廃止または連絡運輸は1回に限るという規則になった現在では、この切符による旅行を上回る旅行自体ができないため、この記録は将来にわたって破られることはない可能性が高い。 しかし、実際の旅行距離は日本最長であることは間違いないが、種村の仕事の都合や乗り間違い、発売後に多数の自動車線が廃止されたことから発売距離よりもかなり短くなっている。また、ルート作成段階で、一大盲腸線状態の筑肥線の存在を見落とすというミスを冒していた事が読者の指摘で判明している。しかも、この筑肥線を利用したルートの場合、最長片道きっぷの起点は竹下町駅ではなく姪浜駅になる。 なお、これには上記順路のメインルートのほか、宇高連絡船しか接続ルートが無いため完全取りこぼしとなってしまう四国についても、エリアが完全に収まる四国ワイド周遊券(四国均一周遊券、現在は廃止)を利用した四国内最長片道となるオプショナルツアーが実施されている。
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