種池山荘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 04:05 UTC 版)
1919年(大正8年)に当時の平村により、2間9尺の石室の種池小屋が建造された。柏原長寿が村からの委託を受けて、小屋の管理を行っていた。1930年(昭和5年)に木造小屋に建て替えられたが、この年の冬に積雪のため倒壊した。その後も積雪により小屋が押しつぶされることが何度もあり、登山シーズン後に小屋を解体し次の年の開業時に組み立てる方式とした時期もあった。1940年(昭和15年)8月12日に久邇宮家彦王一行が、白馬岳から蓮華岳への縦走時、鹿島槍ヶ岳に登頂した後に種池山荘に宿泊した。1943年に柏原長寿が村から小屋を買い取り、戦後は娘婿の柏原正泰が小屋の管理を行った。1959年(昭和34年)に伊勢湾台風により屋根が吹き飛ばされるほぼ全壊の被害を受け、翌年木造2階建ての旧館が再建された。1968年(昭和43年)に、1階が鉄筋コンクリート構造、2-3階が鉄骨構造の頑丈な小屋に建て替えられ、種池小屋から種池山荘(たねいけさんそう)に改名された。1971年(昭和46年)に当時の林野庁の要請を受けて、柏原正泰が岩小屋沢岳と鳴沢岳との鞍部に新越山荘を建造した。1994年(平成6年)旧館が全面改築された。
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