種牡馬から復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/05 08:51 UTC 版)
ところが、グレイラグは生殖能力に問題を抱えていたため、わずか19頭の産駒にしか恵まれなかった。その後、完全に種馬としての機能が失墜してしまったため、グレイラグは再び競走馬として復帰することになった。 1927年、グレイラグはすでに9歳という競走馬としての高齢期を迎えていたが、2戦して2勝。翌1928年には4戦して1勝、3着2回と健闘するも、もはや全盛期の走りでないことは明らかだった。グレイラグは再度引退し、乗馬としてとある獣医に売却されるが、直後その馬主が急逝してしまう。 遺産処分によりまたも別の主人に仕えることになったグレイラグは、13歳にして三度目の現役復帰を、新天地カナダで迎えることとなった。出走したレースは下級のクレーミング競走。かつて全米に君臨した王者のあまりにも憐れな末路に、これを見た最初の馬主のひとりハリー・フォード・シンクレアがカナダから再度買い戻し、グレイラグはランコーカスステーブルにようやく安息の地を得ることができた。 1942年に死亡。1957年にアメリカ競馬名誉の殿堂博物館に殿堂馬として選定されている。 種牡馬として活躍することができなかったため産駒は少なかったものの、そのうちの1頭グレイオラ(Greyola、1927年生・牝馬)はステークス競走勝ちを収める活躍を見せ、1930年のアグアカリエンテダービーではトラヴァーズステークス馬ジムダンディを破って優勝するなど将来が有望視されていた。しかし、東海岸への輸送中に交通事故に遭い、死亡している。
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