種牡馬としての可能性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 00:07 UTC 版)
「サイレンススズカ」の記事における「種牡馬としての可能性」の解説
サイレンススズカは5歳時のレースで示したそのレースぶりによって、サンデーサイレンスの後継種牡馬候補として期待を集めることになった。5歳時からすでに橋田や永井のもとへアメリカから種牡馬としての購買のオファーがあり、橋田は公表こそ控えたものの「相当な金額での買い付け希望が出された」とし、「具体的に金額を提示し、『すぐ買う』と言ってきたんですから、これは本物でしょう」と述べている。永井もアメリカから種牡馬としてのオファーが殺到していたことを認め、種牡馬入りさせてまたそこから産駒を預かりたいと考えていたが、「日高の人たちが種牡馬としてのサイレンススズカに期待していましたから、できるなら北海道においてやりたかった」と述べ、オファーをことごとく断ったものの、それでもシャトル種牡馬としての依頼を提示され、『とにかくアメリカにサイレンススズカの血を残してくれ』『何かいい方法を考えてくれ』と依頼されたという。死後には社台グループが以下の追悼コメントを発表し、その死を悼んだ。 まだまだこれからもっと走れると思っていた矢先のことで、非常に残念な思いでいっぱいです。うちの生産馬ではないので詳しいコメントは失礼になりますが、サンデーサイレンスの産駒としては異質なタイプで、その卓越したスピードから生産地では種牡馬として大変期待を懸けていたことは窺われます。残念としか申し上げられません 新聞記者の野元賢一は、「優秀ではあるがどこか父の縮小再生産のような馬が多いサンデーサイレンス産駒の中で、例外はサイレンススズカとアグネスタキオンである」 と評しており、数多のサンデーサイレンス産駒の中においても際立って高い能力を持っていると目されていたことも、種牡馬としての期待を高めさせる要因となっていた。が、様々な期待や評価があったものの事故死により子孫を残せず、サイレンススズカの種牡馬能力については全て推測の域を出ないままとなった。 死亡時に全兄弟はおらず、母のワキアが1996年に死亡していたため、生産でサイレンススズカ同様の配合を再現するのは不可能であった。サイレンススズカの事実上の代替馬として期待を集めたのは半弟のラスカルスズカであったが、種牡馬入りしたものの重賞勝ち馬を出せないまま2010年に種牡馬登録を抹消されている。サイレンススズカの事故死の翌年に、姉のワキアオブスズカにサンデーサイレンスが交配され生まれたスズカドリームが2003年のクラシック戦線に顔を出し、サイレンススズカの甥として期待を集めたものの、2005年に調教中の事故で死亡している。
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