種牡馬としての成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/09 22:28 UTC 版)
「スターシュート」の記事における「種牡馬としての成功」の解説
1902年より供用開始され、この初年度産駒から早くも成功を収めた。1908年にはアメリカの上位種牡馬20頭のリストにランクインし、以後1923年までリストから漏れることがなかった。そして1911年には初のアメリカリーディングサイアーを獲得、その後1912年・1916年・1917年・1919年にもリーディングを獲得している。リーディングを取れなかった年も、2位(1914年・1915年・1921年)や3位(1913年・1918年)などの好位を常に保つ堅実な成績を収めた。 スターシュートは用意された繁殖牝馬の質と関係なしに有能な競走馬を量産した。産駒も牡馬・牝馬ともに活躍し、また短距離や芝などあらゆる方面で大成した産駒を出したことも成功の要因であった。2歳戦に強い産駒も多く、供用時は常に2歳リーディングサイアーを保ち続けた。ラニーメードファーム時代に生産された主な産駒に、ケンタッキーオークス勝ち馬のウィングティングなどがいる。 スターシュートは1912年11月にジョン・マッデンによって買い取られ、マッデンの持つハンバーグプレイスファームへと移動した。ラニーメードファーム時代は毎年平均で28頭の種付けを行っていたが、規模の大きなハンバーグプレイスでは種付け頭数が激増し、移籍翌年だけでも90頭の種付けをこなし、52頭の産駒を出している。この52頭のうち36頭が勝ちあがり、うち11頭がステークス競走勝ち馬となっている。スターシュートが生涯で送りだしたステークス競走勝ち馬61頭のうち、34頭がマッデンのもとで生産されたものであった。
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