神社仏閣・城跡・遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 06:54 UTC 版)
十三湖周辺には中世に「十三千坊」と呼ばれる神社仏閣群があったと伝えられている。また実際に宗教遺跡や城跡などが今に残っている。これらは同時代に栄えた安東氏の本拠地とされる十三湊に近いことからその影響下にあった可能性があり、同氏との関連が指摘される遺跡・遺構もいくつか存在する。なお、下記の十三地区、相内地区はいずれも現在の五所川原市に位置している。 神明宮(しんめいぐう、別名:十三神明宮)湖西岸の十三地区(かつての十三湊があった地域)に鎮座。祭神は天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)、羽黒社および菅原道真公を合祀。現在も宮司を代々務める工藤家が正保2年(1645年)に着任した記録が残っている。後述の湊明神宮は当社の境外社となっている。なお、付近にある最寄りのバス停留所名は「十三神社前」となっている。 湊明神宮(みなとみょうじんぐう、別名:湊神社、浜の明神遺跡)湖西岸の神明宮より南方の少し日本海寄りに明神沼があり、当宮(神社)は沼南端の丘陵に鎮座している(十三地区がある五所川原市ではなく、つがる市側の市境付近に所在)。祭神は速秋津彦命・速秋津姫命。延宝4年(1676年)の創建とされ、かつての「浜の明神」跡と伝えられている。浜の明神は安芸国・厳島神社の分霊を勧請したといわれており、航海の守護神であった。また、現在の水戸口(船の出入口)は十三地区の北部にあるが中世にはこの付近にあって、浜の明神は灯台の機能も果たしていたと考えられている。 山王坊日吉神社(さんのうぼうひえじんじゃ、山王坊遺跡)湖北岸の相内地区北東に鎮座(湖北岸より北方に約2km離れている。なお、この近辺地域は山王坊とも呼ばれる)。大津市・山王日枝大社の末社で、全国的にも珍しい頭頂部に笠木のある山王造り京風二重鳥居が特徴的である。近辺からは十三湊遺跡と同時代にあたる中世の神仏習合遺跡(山王坊遺跡)が発見されている。遺跡には山王大明神が祀られた阿吽寺があったと伝えられている。また、この遺跡は安東氏の居城と考えられる後述の福島城跡と近いことから、同氏との関係が深かったことが推測される。この他にも、近辺には中世の宗教施設と思われる十三宗寺や春日内観音堂(龍興寺跡)、禅林寺跡(露草遺跡)などがある。 福島城跡湖北岸の丘陵にある城跡。内郭は14世紀後半〜15世紀前半に築かれたものと見られ、ここより南西約3kmに位置し安東氏の本拠地であった十三湊の最盛期とも一致する。2005年(平成17年)〜2009年(平成21年)に青森県によって行われた発掘調査では中世の武家屋敷が内郭南東部より発見され、同氏の居城であった可能性が高まっている。現在、内郭において門跡の復元が行われ土塁・堀跡が残存しており、外郭では門跡・土塁・堀跡を散策できる遊歩道の整備も行われている。なお、城跡から北東方向に少し行った小泊道沿いには福島城趾展望台があったが、2008年頃に解体されている。 唐川城跡・展望台湖北岸より北方約2kmに位置する春日内観音堂の近くに唐川城跡展望台がある。展望台からは十三湖や日本海、津軽平野などが一望できる。城の遺構があるのは、この展望台より北側の崖上。かつては安東氏が南部氏に追われて立て籠もった詰城という説もあったが、発掘調査により平安時代後期(10世紀後半〜11世紀)に築かれた高地性環濠集落跡ということが明らかになっている。
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