神社再建と称する構築物群の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 08:05 UTC 版)
「ペリリュー神社」の記事における「神社再建と称する構築物群の設置」の解説
1982年、清流社が組織した青年神職南洋群島慰霊巡拝団の滑川裕二(現NPO南洋交流協会理事長)が遺骨50体を収集するとともに、日本から運搬した材料を使って、イサオ・シゲオ(綴りや現地の発音ではイサオ・シンゲオの表記が近い)尊長ら島民が見守る中、ペリリュー神社が再建された。この際、ペリリュー島で戦死した一万余名の英霊が併祀された。神社は、日本からの慰霊団や観光客からの外貨取得にも寄与している。 1987年刊名越二荒之助著『世界に生きる日本の心』のなかでは、神社再建が「パラオ政府の要請によるもの」で、「ペリリューの人達が神社の建設を喜んだ」として当該号の該当部分のコピーが記載されている。が、そこに書かれている英文をよく読むと“神社再建が「パラオ政府の要請によるもの」で、「ペリリューの人達が神社の建設を喜んだ」”の部分は accordinng to Yuji Namekawa、もしくはsaid Yuji Namekawa の発言を記載したものである。つまり「パラオ政府の要請によるもの」「ペリリューの人達が神社の建設を喜んだ」は神社建設の当事者である滑川の言い分であって、パシフィック・デイリー・ニュースはそれを掲載しただけだが、名越の本ではあたかもパシフィック・デイリー・ニュースが独自取材で、神社再建が「パラオ政府の要請によるもの」で、「ペリリューの人達が神社の建設を喜んだ」と報道したかのような錯覚を与えるものとなっている。
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