神社参拝拒否事件とは? わかりやすく解説

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神社参拝拒否事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 05:40 UTC 版)

美濃ミッション」の記事における「神社参拝拒否事件」の解説

1929年9月24日美濃ミッション教会員の子弟たちが、大垣市中小学校(現大垣市立興文小学校)で行われた県社常葉神社参拝拒否した。この事件は『美濃大正新聞1930年3月13日報道きっかけに、各新聞でも報道された。これを受けて日本基督教会大垣教会教会員安八農学校校長佐藤信夫は、我々キリスト教徒も迷惑を感じている。神社参拝反対する必要はない、と述べた美濃ミッション児童3月23日大垣招魂祭例も拒んだ。これらの事件により9月23日提出した美濃ミッション設立願いはついに認められなかった。 1933年美濃ミッションの子弟が伊勢神宮参拝偶像であるとして拒んだ。この事件新聞大々的報道された。岐阜県政治家大野伴睦は「市民合法的に実力美濃ミッション閉鎖せよ」と述べた煽動され大垣市地元民は「美濃ミッション排撃の歌:守れ国体、葬れ邪教」を作って美濃ミッション迫害した我が国体の尊厳を 害なう彼らミッション排撃目ざす 我らこそ 使命生きる国民血潮漲る憂国の 麋城(びじょう)の健児の力もて倒せミッション倭異奴輩(ワイドハイ) 正々堂々最後までいざ起て勇士時は今 我市四萬健児らよ邪教牙城葬り正義御旗輝かせ —  日本基督教会大垣教会牧師朝倉重雄は、「神社低頭するのは、キリスト教信仰何ら差し支えない」として美濃ミッション非難した1933年8月21日神社参拝拒んだ児童たちは停学になった同年9月1日読売新聞は「美濃ミッション 聖書「神」以外は一切排撃」と題する批判記事書いた1933年9月20日には、宣教師であるワイドナー菊池・山中・柳瀬上京し内務省警保局にて意見交換を行う。その後公的な排撃運動は自然消滅

※この「神社参拝拒否事件」の解説は、「美濃ミッション」の解説の一部です。
「神社参拝拒否事件」を含む「美濃ミッション」の記事については、「美濃ミッション」の概要を参照ください。

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