神社問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 21:57 UTC 版)
1930年(昭和5年)の日本ホーリネス教会の年会で、「神社問題に対する建議案」が上程された。それによると、年会は、「神社」を一つの宗教として見なすということであった。 中田はその後、機関紙に「神社問題に関する進言」を公開状として発表した。また、「信仰自由問題」なる一文を発表して、この神社問題を論じた。 1928年(昭和3年)東京府立第四中学校で、ホーリネス教会の幹部の息子が神社参拝を拒否したという理由で退学を要求された。三年間の教師との戦いにより、生徒は神経衰弱になり、無期限休学することになり、ついには退学することになった。 神社問題のために、中田は6月13日小原十三司らと共に、民政党の有力者を訪れた。また、田川大吉郎と共に、拓務省、外務省を訪れて訴えかけた。 この時期、地方の公立学校ではこのような問題が度々起き始め、クリスチャン教職員らが免職される事件が起こった。中田はこれらに対して、「軍事教練は賛成だが神社参拝は反対」という論評を発表した。
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