神前結婚式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:58 UTC 版)
明治維新以後の近代日本でもキリスト教方式の結婚式が行われていたが、皇室や神社への信仰心の影響により神前結婚式が行われるようになった。だが、この動きは統一的な運動や方式ではなかった。また明治維新以前にも武家社会や神官家での「作法」として、あるいは出雲大社方式の神前結婚式が存在したが、全国的な広がりはなかった。 神宮奉斎会時代、本神社は教化事業として神前結婚式の創設と普及活動を行った。新聞記者で随筆家の大庭柯公は、高木兼寛男爵(元海軍軍医)が日比谷大神宮(当宮)で始めたとの説を唱える。 明治33年(1900年)5月10日、明治天皇第三皇子の明宮嘉仁親王(後の大正天皇)と九條公爵家令嬢の九條節子(のちの貞明皇后)との結婚式が宮中三殿において執り行われた。皇太子夫妻は続いて伊勢・京都地方へ行啓、5月25日には伊勢神宮(豊受大神宮、皇大神宮)に参拝して結婚を報告した。 神宮奉斎会国礼修業部は嘉仁親王と節子妃の結婚の儀を基本にして神前結婚の儀式を創設し、翌明治34年(1901年)3月3日、当社において模擬結婚式を開催した。1902年には民間人初の神前式として、アメリカ帰りの歯科医師の高島某と仙台の豪商金須松三郎の妹・金須松代の結婚式が高木兼寛夫妻を媒酌人に日比谷大神宮で執り行なわれた。儀式は媒酌人、新郎新婦、両家親族が着席し、緒方万の主例(斎主)で、媒酌人による誓文の朗読、結び杯(三三九度)、神拝、親類拝といった流れで式は進行し、披露宴は帝国ホテルで行なわれた。その後改良を加えた神前結婚式のスタイルが奉斎会各県本部・各支部によって全国に広められ、定着していった。今日「神前式」として行われている結婚式は、神宮奉斎会が創設したものが基になっている。 現在、同神社での神前結婚式及び披露宴については、松屋の関連会社であるアターブル松屋が運営しており、「東京大神宮マツヤサロン」の名称を用いている。
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