社会背景とテリムコの意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/13 16:28 UTC 版)
「テリムコ」の記事における「社会背景とテリムコの意義」の解説
テリムコの通販がはじまった1905年(明治38年)は、日本では日露戦争の日本海海戦で無線電信が大活躍した年として知られている。その同じ年のアメリカではお金さえ出せば(技術力不要・資格不要・免許不要で)たとえ子供であろうとも、誰もが無線通信を体験することができ、これは世界唯一といえる特異な環境だった。 マルコーニが無線の実験をしていたイギリスはもちろん、欧州先進諸国では無線の登場初期より、それを(有線電報の)「電信法」や新たに定めた「無線法」の監理下に置いていた。1906年にドイツのベルリンに世界の電波主管庁が集まり開催された第一回国際無線電信会議において、国際無線電信条約およびその附属業務規則が定められた。そして調印国は1908年7月1日の発効日までに、自国の電信法(または無線法)をこの国際規則に準拠するように改正し、かつベルリン会議の国際条約および附属業務規則を批准することになった。電波の国家管理が国際的に求められたのである。 しかしアメリカは長年にわたり電波の送受信を企業や個人の自由に任せてきたため、無線法の制定には反対も多かった。ベルリン会議の条約および規則の発効日までに国内の無線法を成立させることができず、批准は見送られた。無線法が成立しなかったため、テリムコは引き続き無資格・無免許で無線通信を行える画期的な装置だった。さて大人以上に無線に興味を示したのは子供たちだった。大人は一通りの到達距離を試したら飽きてしまったが、子供たちはテムリコによる無線実験をきっかけとして次第に大きな電力の送信機を組み立て、やがて仲間と相互に無線通信する趣味へと発展させた。アマチュア無線である。すなわちテリムコは米国の「アマチュア無線」の誕生に深く関わっている。 またテリムコはバッテリーで動作するため、台車に乗せて移動通信したり、持ち歩くことすら不可能ではない。実際、無線雑誌『モダン・エレクトリックス』の1909年1月号には、テリムコ送信機を背負ってマンハッタンの市街地を歩きながら、拡販のためのデモンストレーションをしている、"Walking Wireless Station"という記事が掲載されている。一般市民が無資格・無免許で自由に持ち歩いて使える通信機という意味では「現代の携帯電話のルーツ」だということもできる。 1912年、ついに無線法が米国議会を通過する見通しとなり、発効日から4年も過ぎていたベルリン会議の条約および規則をアメリカも批准することができた。そして同年12月13日に無線法が施行され、ついにアメリカでも電波の国家管理がはじまったのである。テリムコを使うには無線オペレーター資格が求められ、さらに無線局免許も必要となり、「大衆無線」は終焉を迎えた。
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