研究教育活動とは? わかりやすく解説

研究・教育活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:20 UTC 版)

ブロニスワフ・ゲレメク」の記事における「研究・教育活動」の解説

ゲレメクはこの後民主化運動参加し政治家として活躍するようになってからも、並行して研究活動続け、『憐れみ縛り首ヨーロッパ史のなかの貧民』(1989年)、『フランソワ・ヴィヨン世界』(1990年)、『カイン息子たち1518世紀欧州文学における貧者浮浪者』(1992年)などを発表している。また、1990年に在ポーランド・フランス大使館アナール学派ジョルジュ・デュビー対談し歴史研究の方法課題歴史家使命などについて話し合った。この対談は『共通の情熱』としてフランス1992年)およびポーランド1995年)で出版された。 とりわけ、『憐れみ縛り首』は日本語をはじめとし多く言語翻訳された。中世には修道院慈悲施し精神基づいて救貧活動担っており、清貧の思想示されるように貧困美徳ですらあったが、やがて都市救貧行政を行うようになると、貧困怠惰による悪徳であるとされ、貧者浮浪者対す抑圧排除始まった最下層民は耳を削がれ、主人のものを盗んだ女性生き埋めにされるなど、弾圧過酷さ増し1473年パリ議会で、烙印から追放刑までの貧者浮浪者対す刑罰体系化制度化された。すなわち、憐みと施し対象であった貧者統治権力の排除取締り対象変わったのであり、慈善弾圧というこの貧民対策二面性をゲレメクは「憐れみ」と「縛り首」という言葉表現した博士号取得後、1962年から65年までソルボンヌ大学ポーランド文明センターフランス語版主任務め帰国後はポーランド科学アカデミー歴史研究所で教鞭を執った。1986年には、アナール学派代表する歴史学者で、対独レジスタンス活動によりゲシュタポ銃殺されマルク・ブロックに関する大規模な学術会議ソルボンヌ大学開催され招待受けて講演を行う予定であったが、ポーランド国内事情により渡航できず、「抵抗希望メッセージ」を送りジャック・ル・ゴフがこれを講演会読み上げた。 さらに欧州大学院大学ブルッヘ校で教育活動に関わった後、1993年ナトリンポーランド語版)校の設立参加した欧州大学院大学ナトリン校は後にブロニスワフ・ゲレメク・センターの協賛得て欧州文明欧州史優れた研究に対して与えられるブロニスワフ・ゲレメク賞を設立したまた、1992年から93年にかけてコレージュ・ド・フランスで「社会史排除連帯」と題する講座担当した

※この「研究・教育活動」の解説は、「ブロニスワフ・ゲレメク」の解説の一部です。
「研究・教育活動」を含む「ブロニスワフ・ゲレメク」の記事については、「ブロニスワフ・ゲレメク」の概要を参照ください。

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